>「人間」と「機械」はどこが違うとお考えなのでしょうか?
というのも「機械」という言葉の含意が私にはいまいち理解できていないので。
私は次のように理解しています。
18世紀フランスを中心に、後に「機械論」と総称されることにもなる哲学的立場が、実際に有りました。「力学的」と言っても同じ事ですけど。
勃興し始めたいろいろな機械(時計、ポンプ、巻き上げ機、織機等など)の組み立てや働きについての研究、つまりは機械学から始まって次第に発達してきた力学(現代の量子力学とはほど遠く)が、当時としては唯一、ある程度完成している自然科学でした。
化学も生物学も未だ殆ど科学とは言えない幼稚な段階に有って、人間の営みを含めた万物とその運動を、当時の最先端であった機械をモデルとして、つまりは力学を尺度として説明しようとしたことについては、時代の制約と言う点でまあ止むを得ない点も有ったのでしょう。
デカルトも動物を一種の機械と見做しましたし、ラ・メトリーと言う人は、その名もズバリ「人間機械論」と言う本を著しています。
「機械」の含意は「力学的」と言うことで良いと思います。
どれでも良いので、上記の機械を何か一つ思い浮かべて頂ければ分かりますが、やっていることは力学的な仕事・運動です。
もちろん人間も力学的な運動はします、が、それだけに留まらないと言うのが「機械論」への批判の中心でしょう。
力学的な運動は、物質の運動形体の中で最も単純・低次な運動形体です。つまりは空間の中での二つ、或いはそれ以上の相対的な位置関係以上の意味を持ちません。
二つの物質が一部を接触したまま、位置関係を変化させた時「摩擦」が起こります。或いは、二つの物質が位置関係を変化させ、急速に接近・接触した時「衝突」が起こります。
摩擦も衝突も、音、光、熱などを生じ、ある条件下で電気も発生します。音、光、熱、電気などは物理学的な運動形体です。つまり力学的な運動が、ある条件下で物理学的な運動形体に転化した訳です。
摩擦などの力学的な運動形体は引き続き継続するとして、音や光、熱、電気などは力学で説明は出来ず、この理解には物理学の法則を必要とします。
同じように、炭素と酸素を加熱すると燃焼し炭酸ガスが発生するように、物理的な運動は或る条件下で化学的な運動形体に移行します。
原始地球の海の中で「化学進化」が進行、高分子化合物が生成され一種の有機物スープ状態が実現されたと言われています。
その中で、おそらく熱水鉱床の付近で、自己複製する高分子が一個誕生しました(多分)。つまりは化学的な運動が、生物的な運動形体に移行した訳です。
一旦生物が誕生すれば、後はダーウィンの進化論で知られるように、自然淘汰などの法則に則って急速に進化・発達し、ついには700万年程前に、ある種の類 人猿からヒトへの移行がなされたのでしょう。つまりはサルの群れから社会への運動形体の移行がなされたと言うことです。
社会の中で運動している物質と言えば、人間に他なりません。
人間は生物として、細胞分裂、代謝、繁殖、遺伝などの法則に従います。又、消化酵素や肝臓の機能を見れば分かるように、化学的な法則にも従うし、熱・電気伝導や眼の屈折など、物理的な法則にも従います。歩いたり物を持ち上げたりすることで、力学的な運動法則にも従います。
つまりは、低次な全ての運動法則が作用するし、そもそも生物学的にはヒトとチンパンジーは遺伝子レベルで98パーセント以上の共通性を持っているようです。
しかし同時に人間は他のどの動物にもない運動形体としての、「社会的運動」をしている物質だとの理解が必要だと言うのが私の立場です。
この理解抜きに、人間社会に安易に生物進化の法則を、それも恣意的に捻じ曲げて適用したのが「社会ダーウィニズム」であり、その急先鋒がヘンリー・フォードだったり、今で言えばさしずめ竹内久美子だったりする訳です。
つまりは、高次の運動形態を、それより低次の運動法則で説明出来るとすると、結局はすべての運動形体を力学の法則だけで理解できることとなる訳で、それが 18世紀の俗流唯物論者達の「機械論」だった訳だし、現在でも、全体の連関から切り離しそれだけ部品のように取り出して考えたり、或る現象をそれに特有な 法則を探して理解しようとせず、既に知られている低いレベルの法則で割り切って説明しようとする態度も、一般的に「機械論」と呼ばれていることは、御承知 の通りです。
最近書店を覗くと、人間の歴史を、宇宙のビッグバンに迄遡って、物質の生成や、星の中での物理的進化と超新星爆発、上記したような原始地球の海の中での化学進化と生物の誕生・進化の過程と言った、一連の連続性の中に位置づけている書籍が目立ちます。
そう言った宇宙論的知識が無かった100年以上前、マルクスが資本論第一版序文で述べている「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場」が、少し理解されて来ているのを感じる「今日この頃」。

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