「直立二足歩行森林起源説」の最大の弱点、私にとっての最大の納得しがたい点は、その必要性、メカニズムを説明できないことに尽きるだろう。
これまでの議論で出て来た論点も全て、「森の中でも直立二足歩行は『可能』」、「………『有り得る可能性』」、「………否定できない」、等など可能性を指摘出来るだけで、より積極的に森の中での直接的な必要性、メカニズムに言及したものは無かった。
「同所的種分化」「異所的種分化」等など、全ては可能性の範囲だ。つまり「出来ないことは無い」と言うレベルだ。
確かにチンパンジーにしてもゴリラにしても、森の中で「必要に応じて」応急的な直立二足歩行をする類人猿は多くいる。「普遍的」と言ってもいい。
しかし問題はそれを超えて、「常時」直立二足歩行に移行した系統は、ヒトだけだということだ。そして森の中でその常時直立二足歩行の「必要性」が、つまりは淘汰圧が説明されたことは一度もない。
※ オレオピテクスについては初見だった。
その具体的な内容を知らないので何とも言えないが、本当にヒト並みの直立二足歩行を獲得していたとすれば、もう少し進化人類学の中で話題になっていても良さそうなのだが。
しかし、兎も角残っている系統で直立二足歩行に移行したのは、ヒトだけだ。
類人猿の応急的な直立二足歩行の必要性については、キチンと説明が出来る(筈だ)。枝先にしても地上にしても、その「謎」「不思議さ」が問われたことは無い。
つまり彼らは、その環境にあった淘汰圧下で、言わば当然の範囲で直立二足歩行をしているに過ぎない。
どう言う時に直立二足歩行をするか、観察によるパターン分類も出来ているし、実際にはその頻度はごく限られているようだ。
繰り返しになるが、問題はそこからどうしてヒトだけが森の中で、常時直立二足歩行に移行しなければならなかったか、その必要性、淘汰圧の説明だ。
サバンナ説、イーストサイドストーリーの提唱は、結局その、「森の中での説明不能」への対応だったのだろう。
サバンナと言う、森とは違う新しい要素を加えることで、兎にも角にも直立二足歩行への必要性、淘汰圧を説明することが出来た。
アクア説はその「サバンナ」を「水」に差し替えたに過ぎない。
確かに水は、発想としては突飛だ。しかし直立二足歩行獲得の説明としては、サバンナよりも遥かにスムーズだ。

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