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    <title>林檎倶楽部-アダムとイブの林檎</title>
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    <subtitle>ヒトから人間へ、群れから社会へ</subtitle>
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    <title>ヒト、人間、社会、人間の本質 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
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    <published>2010-03-20T12:33:38Z</published>
    <updated>2010-03-20T12:57:16Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	RE Dさん 	 	&gt;ヒトはヒト社会を作ったのにチンパンジーはヒト社会...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="   ヒト起源、イーストサイドストーリー VS アクア説など" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="ヒト起源" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ヒト" label="ヒト" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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        <![CDATA[<p>
	RE Dさん<br />
	<br />
	&gt;ヒトはヒト社会を作ったのにチンパンジーはヒト社会を作れない／作らない、のはなぜか？ (いかなる生物学的違いによるのか？)　てのが問題でしょ？<br />
	<br />
	&gt;ヒトだけが直立二足歩行することは生物学的違いのひとつでしょう？　つまり雄さんの主張の行き着く先は、直立歩行をさせている遺伝子こそがサプラ イズということになるのではありませんか？<br />
	<br />
	三点ほど述べておきたいと思います。<br />
	若干長くなるかも知れません。又どなたかから「熱弁をふるわれた」などと批判を受けそうですが、私もそろそろ一連の論争（？）から撤収したいと考えています。<br />
	勿論具体的なご指摘や反論を頂いた場合は、今回のように引き続き対応はしたいと思っていますが、既に同じことの繰り返しになってきましたし、何より何人か の方々を相手に回答に回る側としては、他のことが何も出来なくなりますので&hellip;&hellip;&hellip;。<br />
	<br />
	&hellip;と言うことで、少しまとめも兼ねて。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	1）、私が「生物学的連続と社会的飛躍」と言った時、それは何もヒトとチンパンジーの分 岐、直立二足歩行獲得の局面に限定したことではないと言うことで す。今、この瞬間でも同じことです。<br />
	<br />
	人間はヒトとして生物の一種です。<br />
	代謝、生殖、遺伝など、生物としての法則が当然作用しています。その点で「連続性」を持っています。<br />
	しかし人間の社会は、動物の群れとは明らかに質的な違いが有ります。<br />
	<br />
	動物の群れ（ミツバチで有れチンプ、ゴリラであれ）は、本質的にはその生物的種に依存したシステムです。より具体的に言えばその繁殖戦略に直結したシステ ムです。<br />
	多少のローカル性は有るにしても、同じ種なら基本的に同じ様式を形成し、オスが或いはメスが（近親婚を避ける為でしょう）群れを出たり入ったり、ハーレム を乗っ取ったオスは決まって、子殺しなど同じ行動をとります。<br />
	ミツバチの8の字ダンスは、ミツバチである限り群れが変わっても同じでしょう。<br />
	<br />
	しかし人間社会は例えば、38度線と言う、自然的には何の必然性も無い直線を境に、種どころか同じ民族、時には肉親だったものまでが、全く違ったシステム で暮らしています。<br />
	或いは、1868年1月25日（明治元年）と言う、これも自然的必然性の無い時間を境に、その前後で様式が全く変わっています（勿論多少の時間的経過は有 るにしても）。<br />
	その他例を挙げればキリが有りません。<br />
	<br />
	こんなシステムが、塩基配列の差異に依存した生物的なもので有る訳が有りませんし、繁殖戦略に直結したもので有る訳が有りません。<br />
	人間社会は、独自の社会発展の法則に従って、進化・発展しているものと認識しています。<br />
	<br />
	この社会は人間にとって、単なる一つの属性として人間の外側に有る、と言った程度のものでは有りません。<br />
	採餌、生殖と言った、本来生物的要素も、その内容は、社会の有り様がどうであるか（例えば北朝鮮では食事もままならないでしょう）によって全く違って来ます。<br />
	我々が普段意識していることも、社会の中での人間関係で有ったり、会社の中での昇進で有ったり、ライバル他社の動きで有ったりです。<br />
	要するに社会のネットワークの中で、人間は大半を意識し暮らしています。<br />
	<br />
	社会のネットワークを離れて人間は、生物的ヒトとしてさえ生きて行けません。<br />
	ホームレスの人たちが、都会の人の中でしか生きられないのもそう言う事情でしょう。<br />
	人間社会のネットワークから外されて（実験出来ませんが）育った、いわゆるネグレストは、ヒトとしての生物的成長さえ阻害されるようです。<br />
	狼少女、アマラとカマラの話は作り話だったようですが、しかし事情が同じなら多分ああ言う結果になったでしょう。<br />
	<br />
	「普遍文法」と言うものがヒトの遺伝子に組み込まれていたとして、社会のネットワークから切り離されて育ったなら、その能力も発現せず、人間として基本的 な言語能力さえ持ち得ないでしょう。言葉は人間同士のコミュニケーションの必要抜きに、有り得ないのですから。<br />
	直立二足歩行さえ私には疑問です。<br />
	<br />
	だから社会は人間にとって、決して外的なものでは無く、人間の内面（具体的には脳）に組み込まれた（或いは組み込まれるべき）ネットワークでも有る訳です。<br />
	社会のネットワークと、人間内面のネットワークが繋がってこそ、初めて人間はヒトとしても生きて行けます。<br />
	「ヒト」と言う単なる生物的抽象的存在は現実には存在していません。存在しているのは社会のネットワークに組み込まれた、具体的な人間だけです。<br />
	<br />
	これが私の言う「社会的存在としての人間」であり、それが人間の本質であると思う訳です。<br />
	ですから、直立二足歩行に限定された問題だとは思っていません。<br />
	<br />
	<br />
	2）、直立二足歩行の獲得と、そのことによって可能になった道具、言語、そしてその道具 の作成と、分節・恣意性言語によって獲得された、高度な概念的思考など、それら一連の出来事には私も正に、ミラクル、サプライズだとしか言えません。<br />
	700万年前に戻って、もう一度やり直しても絶対ここに同じ人間は居ないでしょう。<br />
	<br />
	ヒトの遺伝子の役割が若し解明されたとして、そこには確かに、直立二足歩行とそれを支える骨格などをコードしている一連の遺伝子群、言語に関する遺伝子 群、脳増大に関わる遺伝子群などが、チンプやゴリラと分ける差異として見つかるものと、私も思います。<br />
	しかしこのこと自体を「サプライズ」だと言うかどうか、この点で私の考えは違います。<br />
	<br />
	私が一連の書き込みで、「社会への飛躍、人間社会の特殊性」などを主張した時、こちらの常連さんから決まって出される反論が、「人間はヒトとして生物の一 種に過ぎず、全ての生物種はそれぞれにユニークであり、進化の頂点にある。人間だけが特殊なのではない」、と言う主張です。<br />
	<br />
	私からすれば、生物としてのヒトと、社会的存在としての人間との混同だと思うのですが、この主張自体は間違っていないと思います。<br />
	遺伝子レベルで言った時、直立二足歩行をコードする遺伝子も確かにユニークでサプライズでは有るにしても、ゴリラのオスの身体の大きさとハーレム、チンプ やボノボの乱婚など、それぞれにユニークでサプライズで有る筈です。つまり進化と言う点で等価だと思う訳です。<br />
	<br />
	現在の人間とチンプとの差を説明する為に、1.23％とも言われる、ヒトとチンプの遺伝子的差異の中だけに、無理やり「サプライズ」を見ようとするのは、 やはり私としてはご都合主義で有ろうと思う次第です。<br />
	<br />
	<br />
	3）、突然変異により「直立二足歩行の遺伝子」がヒトの祖先に生じたとして、そう言う突然変異は他の種の遺伝子にも、同じ確率で起きたものと私は考えま す。遺伝子のコピーミスはランダムだと聞きますから。<br />
	或いは共通祖先の時に、何度も有ったかも知れません。<br />
	<br />
	しかし自然選択がそれを拾ってくれない限り、それは表現型とはなり得ません（中立説だとか集団遺伝学だとか、難しいことは分かりませんが、考え方とし て）。<br />
	遺伝子的変異と自然選択の妙で、直立二足歩行が獲得された経過については、前述したようにミラクル・サプライズだとは思いますが、遺伝子レベルでのその変 異だけを取り上げて、特殊化するのはやはり如何かと。<br />
	<br />
	<br />
	最後に&hellip;&hellip;&hellip;、<br />
	<br />
	人間社会と類人猿の群れとの違い、距離は、これはもう誰も認めざるを得ないところだと思います。<br />
	しかし片方に、1.23%と言う生物としての僅かな差異があり、他の種、ゴリラやオランウータン、ニホンザルなどにはその何倍もの差異が有る訳です。<br />
	<br />
	この二つの要件を、生物学的枠内だけで両立させようとしたら、私には次の二つの方法しか無いものと考えます。<br />
	<br />
	1つは、人間と他の生物種との違い、差を極力小さいものとして評価することです。<br />
	以前、「階層問題」で激しく論争しましたが、人間社会の特殊性、飛躍を認めず、あくまでも「程度問題」に押し込める議論です。<br />
	<br />
	もう1つは、ここで繰り返されたように、ヒト遺伝子の1.23％の生物的差異の中だけに、無理やり巨大な差を生み出すサプライズ、コントロールリージョン などを持ちこむことです。<br />
	<br />
	これ以外に二つを両立させることは出来ません。<br />
	私はどちらも無理が有ると思う訳です。<br />
	<br />
	<br />
	人間はヒトとして生物の一種です。おそらく1.23％程度の差しか無いのでしょう。それ以上でもそれ以下でも無いものと思います。それでいいのです。<br />
	同時に人間の社会は、チンプの群れやゴリラのハーレムとは質的に異なった、そこに巨大な飛躍を私は見ます。<br />
	要するにヒトとしての生物学的存在を土台にしながらも、社会と言う一つ上の階層、ステージへの飛躍だと思う訳です。<br />
	それを可能にしたのが道具であり、言語であり、その土台になったのが直立二足歩行です。<br />
	<br />
	同時にこうも言えます。<br />
	○ヒトとして他の生物との連続を認めることで、創造論や人間だけの神秘性を排除し、<br />
	○社会と言う、生物的階層と違うシステムを認めることで、人間社会に、生物学で言われる「自然淘汰」「優勝劣敗」などの「理論」を故意にに持ち込む、社会 ダーウィニズムなどの俗論を否定する。<br />
	<br />
	特に 1.23％の中に全てを押し込もうとすると、どうしてもそこに「サプライズ」だのを想定したり、以前紹介したことのある、アドルフ・ポルトマン (1897-1982）と言うスイスの動物学者の「洞察力」など、進化の結果を原因に持ってくるような間違いが起こり得ます（これは考え方としては神によ る人間創造に繋がります）。<br />
	<br />
	生物学的枠内だけに拘ると、逆にそこに何か神秘的なものを想定しないと説明がつかない、そう言う危険性を含んでいると思う訳です。<br />
	<br />
	<br />
	なお、これは私の見解で（私が考え出したことでは有りませんが）、これが正しいとか、皆さんが納得できるとか、そう言うことを言う積りは全く有りません。<br />
	特に「社会と社会への飛躍」について、こちらの常連さんから同意が得られるとは、私も期待していません。<br />
	ただ、Dさんご指摘の&hellip;&hellip;、<br />
	<br />
	&gt;えっ、そういう主張だったんですか？　雄さんの主張がわからなくなってきました。<br />
	<br />
	&hellip;に対し、私自身、自分の中では納得できる、そこに何も矛盾は無いしご都合主義でもダブスタでも無い、とだけは言える。そう言うことです。</p>
]]>
    </content>
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    <title>「人間の本質」反論への回答 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
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    <published>2010-03-14T14:23:46Z</published>
    <updated>2010-03-14T14:38:22Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;現在のヒト社会とチンパンジーの群れを比べて差異を抽出し、それが「人間...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
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    </author>
    
        <category term="   ヒト起源、イーストサイドストーリー VS アクア説など" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p>
	&gt;現在のヒト社会とチンパンジーの群れを比べて差異を抽出し、それが「人間の本質だ」と言ってみたところで、生物学の課題にとっては何の意味もないということです。<br />
	<br />
	そもそも私は、生物学の枠内で、ヒト社会とチンパンジーの群れの「差異」は説明できない、と言う立場ですよ。繰り返し述べているように。<br />
	その「差異」は、社会的存在としての「人間の本質」的理解の中にしか、見出せない。と言うのが私の主張ですからね。<br />
	その差異が「生物学の課題にとっては何の意味もない」かどうかは別として、少なくとも生物学の課題としてだけ取り上げている積りなど、全く有りません。どちらかと言うと社会科学の分野にまたがる課題でしょうね。<br />
	<br />
	逆にGさんが&hellip;&hellip;&hellip;、<br />
	&gt;直立二足歩行および脳の発達、道具使用の高度化&hellip;そういうヒトの歴史を否定しようとする人はいませんよ。<br />
	<br />
	と、片方で認めながら、片方でその要因を「生物学の課題」の範囲、つまり塩基配列数％の、その枠内での調節遺伝子やサプライズで説明できるとするのであれば、一番良いのはそのサプライズの内容を、勿論、仮説で結構ですからGさんご自身の、批判に耐える主張を提示して頂くことです。<br />
	<br />
	自身の見解を述べず、ただ批判だけされても、私としてはそれ以上に言うべきことが有りません。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	&gt;&gt;道具の進化、それを支える社会の知的集積で、幾らでも説明が付くじゃないか<br />
	<br />
	&gt;何の説明がつくのですか？<br />
	<br />
	少なくとも、有るか無いか分からない、或いは解明されていない塩基配列上の「サプライズ」などよりは、説得力が有ると、私は思っています。<br />
	<br />
	<br />
	&gt;生物学という科学が知りたいのは、ヒト以前・以後を含めた経緯です。<br />
	<br />
	「生物学という科学」の範囲に納まるとは思っていませんが、私は「ヒト以前・以後を含めた経緯」について、自分自身納得できるシナリオは持っているし、こ こでもくどい程主張しています。<br />
	ただ前回も述べたように、それがGさんの納得が得られるものだとは思っていませんけどね。<br />
	<br />
	<br />
	&gt;「道具の進化、それを支える社会の知的集積」というヒト以後の事情が分かっても、なぜ、ヒトが登場したのか、という疑問には答えられないのではな いですか？ <br />
	<br />
	ヒトの登場の疑問、についても繰り返し述べている筈なんですがねぇ、Gさん。<br />
	読むほうも「又か！」と思われるかもしれませんが、書く方もうんざりする程繰り返し。<br />
	<br />
	前回も述べた通り、「それは人間が道具を使って生きる道に踏み出したからだ、と。その基礎は直立二足歩行ですが。」これに尽きます。<br />
	<br />
	直立二足歩行そのものは、環境の何らかの要因がそう選択させた、純粋に生物学的な出来事だったでしょう。<br />
	しかしそれによって&hellip;&hellip;&hellip;、<br />
	<br />
	1）、前肢が歩行から解放され、手として道具の使用・作成の可能性に繋がった。<br />
	2）、直立による重力の影響で喉頭が下がり、口腔内に空洞が広がり、複雑な発声の可能性を広げて音声言語の獲得に繋がった。<br />
	3）、直立した骨格は、増大した脳を真下から支えた。<br />
	<br />
	○道具は身体器官の延長・代用ですが、その改良・進化に遺伝子の変異を必要とせず「社会の知的集積」に応じて、急速に限りなく進化させることが出来る。<br />
	そのことによって、生物学的には数％の差異のまま、行動と生活様式を激変させることが出来た。<br />
	<br />
	○音声言語は人間に概念を与え、例えば E=mc2 のように、目の前の感覚に全く依存しない思考さえ可能にした。<br />
	<br />
	私からすればこの一連の過程で、「塩基配列の違い数パーセント」の中に、サプライズなど些かも必要としないのです。<br />
	一連の過程そのものは、私にとっても正にミラクルで有り、サプライズですけどね。</p>
]]>
    </content>
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    <title>ヒトとチンプ、遺伝的差異 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/03/post-22.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.157</id>

    <published>2010-03-14T14:20:09Z</published>
    <updated>2010-03-14T14:37:43Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;ヒトとチンパンジーの塩基配列の差が１?２％がをわずかというのはどうで...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="   ヒト起源、イーストサイドストーリー VS アクア説など" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="塩基配列" label="塩基配列" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p>
	&gt;<tt><span class="Kiji_Article">ヒトとチンパンジーの塩基配列の差が１?２％がをわずかというのはどうでしょうか。ヒト とホヤのそれは４０％と聞いたことがあります。（間違っているかもしれませんが）これを考えると１?２％はすごい差と思います。犬種によるこの差が１％あ るとこのサイトで読みました。そんなにあるのかと驚いたことがあります。<br />
	<br />
	&gt;当然受け取り方により個人差はあると思いますが。</span></tt></p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<tt><span class="Kiji_Article">1?2％と言う数字が、大きいか小さいかは、Sさんの言われる通り人によって違うと思いますし、又どう言う要素に着目するかによっても評価が違ってくると思います。</span></tt></p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	この塩基配列の差について、実は二つ程留意すべき点が有りそうです。<br />
	<br />
	1）、ヒトとチンプの遺伝的多様性の検証に、最初に分子を持ち込んだのは、バークレー校のアラン・ウィルソンとヴィンセント・サリッチですが、当時、つまり1960年代半ばには未だDNA分子の直接分析は出来なかったので、彼らはDNAの代わりにタンパク質分子を利用して、1.6％と言う数字を出したようです。<br />
	<br />
	しかしこの分析手法で対象とされるのは、遺伝子レベルではタンパク質をコードしているエクソン部分だけになる訳で、その数倍有ると言われるイントロン部分は考慮されないことになります。<br />
	そしてこのイントロン領域は、生存に有利にも不利にも働かない為、突然変異が淘汰に掛からずそのまま定着する率が高い。つまりは変異スピードが極めて速いらしい。<br />
	イントロンを含めたDNA全体の変異は、従ってもっと多くカウントされて然るべきだ。と言うのが一つの考え方として有るようです。<br />
	<br />
	特に最近の研究で、このイントロンも単なるジャンクで無く、何らかの存在意義が有るのではないかと言う話も聞く訳で、それがどの程度の意味を持つか私には分からないのですが、全体としてもう少し高い方に振れる可能性も考慮して良いのかも知れません。<br />
	<br />
	2）DNA分子の比較と言う点で、任意の二つの種で共通の部位、例えばシトクロムc（チトクロームc）の塩基配列を比べた時、系統的にどんなにかけ離れた種で有っても、最低で25％を下回らない共通点が有るそうです。それは同じ共通の祖先に由来する、全ての生物の土台と言うことでしょうし、生命維持の基礎的部分だとも言えるでしょう。<br />
	<br />
	だからと言って、例えば人間が、25％大腸菌的だということではないし、25％ナメクジの性質を持っていると言うことではない訳ですね。<br />
	遺伝子的差異と言うことを考える時、この共通部分は最初から比較計算の外に置いた方が良いのかも知れません。<br />
	そうすると「差異」はもう少し大きい値が出ることになるのかな、と言う感想は持っています。<br />
	<br />
	ですから全体でヒトとチンプの遺伝的差異は、もう少し大きく見積もった方が良いかも知れません。<br />
	この数値自体にあまり拘る必要は無いかも知れませんし、コンマ以下の数字に意味は無いとも言えるでしょう。<br />
	しかし問題は、絶対的な数値では無く、他の種との相互の比較とその傾向だと思う訳です。<br />
	<br />
	<br />
	ヒト・チンプの差、1.6％と言う同じデータでの比較で、ゴリラは2.4％、オランウータンは4.6％などとなっています。ニホンザルなどはもっと大きな差が出るでしょう。<br />
	この数値自体上記したように、もう少し高振れすると考えて良いでしょうが、しかし比較と傾向としては、こう言う順序になっている訳です。<br />
	<br />
	つまりチンプ・ボノボから見た時、一番近い親戚はヒトであり、ゴリラやオランウータン、ニホンザルなどはもっと遠い親戚だと言うことです。<br />
	これが生物学的な、本来の距離感なんでしょうね。<br />
	<br />
	生物学的な距離としては、単なる「二本足で歩く、裸のサル」に過ぎないヒトと、そのヒトが展開している現代の「人間社会」。<br />
	その辺の、「連続と飛躍」を考えている訳です。</p>
]]>
    </content>
</entry>

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    <title>毛だの神だの、サプライズだの - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/03/post-24.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.159</id>

    <published>2010-03-13T14:28:47Z</published>
    <updated>2010-03-14T14:37:07Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;いや?もしかしたら、毛がふさふさした（？）ネアンデルタール人たちも、...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="   ヒト起源、イーストサイドストーリー VS アクア説など" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p>
	<tt><span class="Kiji_Article">&gt;いや?もしかしたら、毛がふさふさした（？）ネアンデルタール人たちも、<br />
	自分たちの神（？）を持っていたかも、しれませんよ。<br />
	<br />
	ネアンデルタールが神を持っていたかどうか、それは知りませんが、体毛の有無にかかわらず人間の歴史の過程で原始宗教は当然生じていたと思いますよ。<br />
	そもそも原始宗教発生の契機と体毛の有無は関係ありませんからね。<br />
	</span></tt></p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	<tt><span class="Kiji_Article">ただ各部族、或いは群れが持っていたであろう土着の原始宗教が、統合され濾過され、そし て階級の分化に伴って支配階級がその権威づけの為に、「神権」と言 う形で宗教を利用するその過程で、ある種洗練されて来た、その典型がキリスト教だろうと私は思っています。<br />
	<br />
	私が体毛との関係で「若しかしたら&hellip;&hellip;&hellip;」と思ったのは、だから原始宗教のことでは無く、旧約聖書の、取り分け神による人間創造の部分だけです。<br />
	ハクスリーとウィルバーフォースのやり取りも、その部分に関してですから。<br />
	体毛が有っても神を想定はしたでしょうが、やはり大分違った形になったんじゃないかな、と。<br />
	同じ神話でも古事記やギリシャ神話など、その辺もっと生臭いと言うか、曖昧ですからね。<br />
	<br />
	キリスト教にとって取り分け「神」は当然絶対的な存在だし、「人間がサルから進化した」とする進化論は、そのコアの部分の否定に繋がります。<br />
	しかし今、進化そのものをかってのように火刑を持って、正面から否定するなんて訳にも行かなくなっているし&hellip;&hellip;&hellip;、<br />
	<br />
	これは少し先走った話になりますが、私の予想として、今後バチカンは不可知論に傾斜して行くだろうと思っています。<br />
	つまり、「科学もあらゆることが分かる訳ではない。本当のところは神のみぞ知る」と言う形で、曖昧にせざるを得ない状況になって行くだろうと。<br />
	アメリカ南部に見られるような原理主義的な風潮が、未来永劫まかり通る訳有りませんしね。<br />
	<br />
	<br />
	&gt;ちょっと話はズレますが、以前から気になってたことひとつだけ。<br />
	ヒトとチンプの塩基配列の違い数パーセントという話、配列はわかっても<br />
	役割分担は不分明なわけで、発生をコントロールする調節遺伝子なんかを踏まえれば、その「数パーセント」の中にサプライズが隠されてるんじゃないですか ね。<br />
	<br />
	<br />
	これはもう私と、Gさんを含めこちらの常連さん（全てとは言いませんが）との、相容れない対立点でも有りますので、ここで対抗する積りは有りません。<br />
	私の見解だけ述べさせて頂きます。って、やはり対抗していることになるのかな。<br />
	<br />
	調節遺伝子であれ、サプライズで有れ、隠されている可能性が無くはないでしょう。<br />
	しかし公平に考えれば、その可能性は他のどの種についても言える筈です。<br />
	私が不思議なのは、私が「人間社会の特殊性、質的飛躍」を主張すると、決まって「人間も生物の一種に過ぎない」としてその特殊性を否定するのに、どうして こう言う場合だけ、僅か1.2％とか1.6％とかの差異の中に、そんなサプライズを、人間の時だけ持ち込もうとするのか、と言うことです。<br />
	<br />
	私の主張はこうです。<br />
	ヒトは生物として、チンプやボノボと殆ど差は無いんです。塩基配列が示している通り生物としては特殊でも何でもない。サプライズを持ちこむ必要もない。<br />
	直立二足歩行をしているから立ち姿は若干違うだろうけれども、体毛を付けたら見かけも大して違わないでしょう。<br />
	逆にチンプとゴリラの方が、生物学的には違いが大きい。塩基配列の差もこちらが大きいし、実際身体の大きさも違う。<br />
	<br />
	塩基配列が絶対とは言いませんけど。<br />
	<br />
	何が違うかと言えば、人間が社会的存在だと言うことです。<br />
	皆さんがどのように否定されようと、素直に見た時、人間の社会とチンプの群れは明らかに隔絶していると私は思っています。<br />
	それは人間が道具を使って生きる道に踏み出したからだ、と。その基礎は直立二足歩行ですが。<br />
	<br />
	丁度、死んだら無さんが、朝青竜やボブサップを例に出してくれたのでそれを使わせて貰いますが、朝青竜がどんなに力が強くても、私がブルドーザーやパワー ショベルを使えば（私は大型特殊の免許を持っていますので）、彼の何倍もの力を出すことが出来ます。<br />
	ボルトが幾ら走るのが早くても、私が自動車を使えば彼の何倍も速く、長く走ることが出来る。<br />
	<br />
	野生動物で足の速さは生存に決定的な要因となるでしょうが、人間の場合それが自然選択に掛かることは、多分殆ど無いでしょう。生存に大きく影響を与える要 因を挙げれば、それは社会における位置、社会との関わりでしょうね。同じ病気をしても治療費が払えるかどうかが、生存を決定するでしょうし、年間3万を超 す自殺者も多くは社会的な事情でしょう。<br />
	朝青竜の力やボルトの足も、自然選択では無く、社会での位置付けと言うふるいに掛かって威力を発揮する能力です、今は。<br />
	<br />
	塩基配列の僅か数％の中に、無理やりサプライズを考え出さなくても、道具の進化、それを支える社会の知的集積で、幾らでも説明が付くじゃないか、と思って いる次第です。<br />
	コンピュータ、核、宇宙ロケット、電力配信網、みんなそうです。インターネットの進化なんか、今後僅か10年先のことさえ私には想像もつかない。<br />
	その間、生物としての進化など何も無いのに、社会と行動様式は劇的に変わって行く。<br />
	そこに人間の本質を見ています。<br />
	<br />
	そう言う道具一切を外されて、素っ裸でサバンナでも森の中でも放り出されたら、つまりは自然選択にさらされたら、人間なんてこれ以上無力な存在は無いで しょう。ボルトでも朝青竜でもダメでしょうね。<br />
	それが社会から切り離された、単なる生物としてのヒトの、掛け値なしの姿じゃないでしょうか。</span></tt></p>
]]>
    </content>
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    <title>討論を終えて - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/03/post-21.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.155</id>

    <published>2010-02-28T22:00:36Z</published>
    <updated>2010-02-28T22:06:08Z</updated>

    <summary> 	「直立二足歩行森林起源説」の最大の弱点、私にとっての最大の納得しがたい点は、...</summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p>
	「直立二足歩行森林起源説」の最大の弱点、私にとっての最大の納得しがたい点は、その必要性、メカニズムを説明できないことに尽きるだろう。<br />
	これまでの議論で出て来た論点も全て、「森の中でも直立二足歩行は『可能』」、「&hellip;&hellip;&hellip;『有り得る可能性』」、「&hellip;&hellip;&hellip;否定できない」、等など可能性を指摘出来るだけで、より積極的に森の中での直接的な必要性、メカニズムに言及したものは無かった。</p>
<p>
	「同所的種分化」「異所的種分化」等など、全ては可能性の範囲だ。つまり「出来ないことは無い」と言うレベルだ。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	確かにチンパンジーにしてもゴリラにしても、森の中で「必要に応じて」応急的な直立二足歩行をする類人猿は多くいる。「普遍的」と言ってもいい。<br />
	しかし問題はそれを超えて、「常時」直立二足歩行に移行した系統は、ヒトだけだということだ。そして森の中でその常時直立二足歩行の「必要性」が、つまりは淘汰圧が説明されたことは一度もない。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	※ オレオピテクスについては初見だった。<br />
	その具体的な内容を知らないので何とも言えないが、本当にヒト並みの直立二足歩行を獲得していたとすれば、もう少し進化人類学の中で話題になっていても良さそうなのだが。<br />
	しかし、兎も角残っている系統で直立二足歩行に移行したのは、ヒトだけだ。</p>
<p>
	類人猿の応急的な直立二足歩行の必要性については、キチンと説明が出来る（筈だ）。枝先にしても地上にしても、その「謎」「不思議さ」が問われたことは無い。<br />
	つまり彼らは、その環境にあった淘汰圧下で、言わば当然の範囲で直立二足歩行をしているに過ぎない。<br />
	どう言う時に直立二足歩行をするか、観察によるパターン分類も出来ているし、実際にはその頻度はごく限られているようだ。</p>
<p>
	繰り返しになるが、問題はそこからどうしてヒトだけが森の中で、常時直立二足歩行に移行しなければならなかったか、その必要性、淘汰圧の説明だ。</p>
<p>
	サバンナ説、イーストサイドストーリーの提唱は、結局その、「森の中での説明不能」への対応だったのだろう。<br />
	サバンナと言う、森とは違う新しい要素を加えることで、兎にも角にも直立二足歩行への必要性、淘汰圧を説明することが出来た。</p>
<p>
	アクア説はその「サバンナ」を「水」に差し替えたに過ぎない。<br />
	確かに水は、発想としては突飛だ。しかし直立二足歩行獲得の説明としては、サバンナよりも遥かにスムーズだ。</p>
]]>
    </content>
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    <title>RE アクア説の可能性 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/re-2.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.154</id>

    <published>2010-02-27T02:35:41Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:46:10Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;森林生活者が，水棲生活で二足歩行を獲得してから，さらに森林に再適応で...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;森林生活者が，水棲生活で二足歩行を獲得してから，さらに森林に再適応ですか？<br />
	&gt;「森林では絶対に進化できない」という雄さんの見解には，他人を納得させる根拠がありませんよ</p>
<p>
	私は元々「直立二足歩行森林起源説」否定派です。<br />
	700万年前何が有ったかは特定できないが、440万年前のアルディは「出発点」では無く「中間点」だと言う認識です。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	直立二足歩行への垣根は非常に高く、樹上生活から言わばなし崩し的に移行すると言うことは考えにくく、700万年前に何か「トンデモ無い」ことが有ったのだろうと想定しています。つまり水です。<br />
	水は、直立への否応なしの淘汰圧になるし、同時に隔離の機能を持ちます。更に場所や、その広さ、隔離されていた期間など、如何ようにも想定可能です。<br />
	又大地溝帯の激しい地殻変動は、その想定を無理なくさせます。<br />
	傍証を挙げれば、ヒトだけの無毛性も森の中では考えにくい。</p>
<p>
	分岐とされる700万年前、既にサヘラントロプスが直立二足歩行を獲得していたとすれば、その急速な獲得要因として、そう言った待った無しの環境変化以外考えられない、と言うのが私の想定です。</p>
<p>
	アルディが実際どう言う経過で「中間点」に居るのか、それは分かりません。<br />
	ただ、私の中では直立二足歩行獲得と、その後森林への適応では、後者の方が垣根が低いだろうと考えているだけです。</p>
<p>
	&hellip;&hellip;と言うのが2日程前までの、私の確信でした。<br />
	ただ、前回述べたように、今は「森林説」も含め、もう一度整理し直してみる必要が有るな、と言う状況です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;「森林では絶対に進化できない」という雄さんの見解には，他人を納得させる根拠がありませんよ</p>
<p>
	&hellip;と言われても、何と言ってみようも有りません。<br />
	こと有るごとに述べているように、物証無き700万年前のことですから。ただトゥーマイが水辺の環境で棲息していたらしいことだけは確かです。</p>
<p>
	「そう言うものです」と言われても、納得できなかった訳ですが、今回のSN30さんの様々な資料提供は、素直に参考にさせて頂こうと考えています。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;サバンナモザイク説は，今でも（少なくともアクア説なんかとは比較にならないほど）有力な仮説の一つです</p>
<p>
	サバンナモザイク説が出た経過から言うと、初期人類化石の発見で、その棲息年代とサバンナ形成の年代に矛盾が出て来て、言わば徐々に追い込まれて、と言ったことだと認識しています。</p>
<p>
	元々、700万年前と言う視点からすれば、サバンナもサバンナモザイク説も有り得ない、と言うのが私の認識でしたが、アルディが森の中で棲息していた、と言う今回発表の内容からしても、その認識が確信に変わったと言うことでした。<br />
	それはアルディ自体もそうですが、その全身骨格による証拠と、既に直立二足歩行を「獲得していた」と言う状況から、サヘラントロプスの直立二足歩行が、より確信できたと言うことが有ります。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;アクア説のような常識外れの説が受け入れられるためには，相当に強力な証拠がないと無理でしょう<br />
	&gt;現時点では，アクア説なんかは問題外だと無視されて当然だとSN30は考えますし，<br />
	実際にまともな学者からは無視されています</p>
<p>
	「常識外れの説」「無視されて当然」「まともな学者から無視」について、これだけではこれも何とも言いようが有りません。私とすれば重要なのはその内容です。</p>
<p>
	700万年前実際「何が有ったか」を言うのは困難と、これも繰り返し述べているところで、従ってアクア説についての、直接的な主張をここではしていません。「私としては」と、自分の見解を述べておいたに過ぎません。<br />
	アクア説が突飛で有ることは間違いありません。私も元々はサバンナ説信者でしたから。<br />
	しかし水を想定すれば、サバンナや森で出来にくかった説明が、非常にスムーズになることも事実です。<br />
	数々の傍証とともに「ヒヒ抗体」が一つの証拠になるだろう、とはモーガンも述べていますが。</p>
<p>
	ただ実際に有ったことの証明は難しいが、有り得ないことを論建てすることは出来る場合が有って、それが今まで私が主張して来た「森林説」否定論でした。<br />
	私は「若し&hellip;&hellip;&hellip;だったらどうしますか？」と言う仮定の話は好きでは無いので、極力根拠を挙げて主張して来た積りです。ただ今回そのうちの「隔離」の部分で、自分の考えの浅さに気が付いた次第です。<br />
	今現在、森林説も含めて少し幅を持って考えざるを得ないな、と言うことは上記した通りです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	カエルについては、その直後のコメントで述べた通り、「カエルのことは知りません」。<br />
	しかし、生物多様性の問題を、そのきっかけとなった分岐の原因・メカニズムの説明に持って来られても、それは説明にはならない、と言うことでした。<br />
	分岐の原因・メカニズムに立って、若し問題を建てるなら、と言うことで提起したことで、具体的な状況を想定してのことでは有りません。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;だから，「森林における二足歩行の獲得が納得できない」というおかしな考えに陥ったんじゃないのですか？</p>
<p>
	「森林における二足歩行の獲得が納得できない」と言うのが、おかしな考えだとは今でも全く思っていません。<br />
	今でも森の中での、常時直立二足歩行への移行が中々イメージ出来ません。森の中で何不自由なく飛びまわっていたであろう祖先種に、何故そんな必要が有ったんだ、ってことも。</p>
<p>
	ただ前回、或いは上記したように、今は森林も含めて考えて見よう、そう言う状況では有ります。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>RE 「種分化」と「集団の分岐」と「個々の形質の獲得」など - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/re-1.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.153</id>

    <published>2010-02-26T02:28:34Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:46:35Z</updated>

    <summary> 	最初に、これも後出しになって非常にバツが悪いのですが、「森の中で『隔離』は考...</summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p>
	最初に、これも後出しになって非常にバツが悪いのですが、「森の中で『隔離』は考えられない」との主張は撤回します。</p>
<p>
	樹冠、林床部と言った範囲で、直立二足歩行に移行する程の隔離が起こるとは、今も思わないのですが、アフリカの森の中に幅広く棲息していたであろう共通祖先のある部分が、何らかの形で「隔離状態」になり、独自の進化を遂げることは有り得るな、と、2日ほど前から考えていたことでした。今考えると当たり前と言えば当たり前のことですが。</p>
<p>
	どなたかからの指摘が無いうちに、なるべく早く訂正・撤回しておこうと思っていた矢先、SN30からのご指摘を受けました。<br />
	ウソっぽいと言われてもしょうの無いタイミングですが、事実では有ります。</p>
<p>
	「森の中で『隔離』は考えられない」、との主張を前提として展開して来た議論の部分についても、従って撤回せざるを得ません。<br />
	今は改めて色々、自分の中で整理中です。<br />
	この件に関し、SN30さん始め、失礼が有ったこともお詫びしておきます。<br />
	申し訳ありませんでした。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	ただ依然&hellip;&hellip;、</p>
<ul>
	<li>
		直立二足歩行へのハードルは高いであろうこと。</li>
	<li>
		近縁3種の繁殖戦略の違いや、ヒトがナックル歩行を経ていないらしいことなどから、ヒトの直立二足歩行が、共通祖先由来のもので無く、ヒト独自のものだろうこと。</li>
	<li>
		分岐後のそれぞれの祖先たちと比較してもなお、森に密着・依存していたであろう共通祖先が、その森の中で直立二足歩行に移行する「必要性」「メカニズム」が納得できないこと。<br />
		ヒトだけの特徴と言うことと相まって、そこに何らかの「特別の要因」を考えざるを得ないこと。</li>
	<li>
		分子が示す分岐年代の700万年前、若しサヘラントロプスが実際に直立二足歩行を獲得していたとすれば、それも森の中での自然的経過としては考えにくいこと。</li>
	<li>
		アルディピテクスでも半ば言えることですが、サヘラントロプス等を視野に入れた場合、繁殖形態、つがいの形態などから、GBさんご指摘の、C・O・ラブジョイの「運搬説」も考えにくいこと。</li>
</ul>
<p>
	&hellip;等など、「森林起源説」には無理を感じるのですが、前提の半分を考え直さざるを得ない中で、今これらに拘っても、私としても意味の無いことですので、一部見解の違いは保留しつつ、素直にSN30さんにシャッポを脱ぎます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	元々ホワイト隊の、今回の発表の紹介と言う積りでしたし、その結果から言えることとして&hellip;&hellip;、</p>
<ol>
	<li>
		森の中での直立2足歩行獲得のメカニズムを説明できるか</li>
	<li>
		サバンナ以外の、森でないところでの要因を探すか</li>
</ol>
<p>
	&hellip;を提起し、私も「若し、森の中での説明が付くなら、確かにそれが再節約だ」と述べていた通り、先ずアクア説有りき、で有った訳では有りません。それは一貫した態度です。</p>
<p>
	繰り返し述べている通り、アクア説そのものの主張を、ここでは殆どしていません。</p>
<p>
	今回の議論を通して、「場合によっては、森の中にその可能性を否定できないかも知れないな」程度には、私も傾斜が緩やかになりました。<br />
	負け惜しみでは無く、素直に一つ利口になったと思っています。</p>
<p>
	「サバンナ説」は選択外として、「森林説」「アクア説」双方に視野を広げて今後の展開を見て行きたいと思っています（それ以外の説は、今のところ私には想定できない）。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	一応自身の総括としても、SN30さんご指摘の項目について、逐条的にコメントして置きます。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;ヒト定義と岩波の記述</p>
<p>
	これは既に「ヒトと類人猿を区別する第一の指標」と訂正済みですが、「全てのヒト的特徴の前に先ず直立二足歩行を獲得した」との記述は、進化人類学の書籍には一般に見られる記述で、議論の足場としてのヒトとして、或いは考え方としてこれに準拠しました。<br />
	しかし、SN30さん等からの批判の深さに、対応できる基準で無かったかも知れませんね。<br />
	なおSN30さんの批判が、岩波生物学辞典に対して向けられたものだとなど、誤読はしていません。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;オレオピテクス</p>
<p>
	初見でした。その詳細は分かりませんが少し認識を替える必要が有りますね。<br />
	有難うございました。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;実際，「アルディ」にはアクア説を示唆する要素がまったくないにも関わらず，雄さんは「アルディ」の発見をみて「アクア説に一票」入れてしまっています</p>
<p>
	これは繰り返し述べているように、アルディ&rarr;アクア説に一票では有りません。<br />
	サバンナ説が破綻した今、残った仮説としてアクア説に傾斜している、そう言う見解だと述べている筈です。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;「種分化」と「集団の分岐」と「個々の形質の獲得」</p>
<p>
	この辺は冒頭述べたように、私の勘違い、勉強不足でした。弁解の余地が有りません。<br />
	同時に勉強になりました。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;カエル</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;逆にお聞きしますが，「カエルが水の中に卵を産み続けるのに問題がある」というのは，<br />
	どういう状況を想定しているのですか？<br />
	&gt;少なくとも，現在，「泡巣を作るアオガエル科のカエル」が利用している同じ水域は，「水中産卵しているカエル」も利用していますよ</p>
<p>
	そもそも「問題」として建てたのが、現在の多様性を強調しても意味は無く、そのきっかけを問題とすべきではないか、と言うことでした。<br />
	ですから、「泡巣を作るカエル」「水中産卵しているカエル」の、現在の混在を述べられても、それは私の意図とは違う、と言うことです。</p>
<p>
	同じ森の中でのヒト・チンプの分岐を説明するには、同じ環境下でのカエルの分岐を問題として建てるべきだ、と言う主張でしたが、これも「隔離」の問題が私の中で破綻した今、無意味な主張となりました。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;「直立二足歩行は森林では絶対に進化できないほど生存に不利な形質だった」としたら，<br />
	どうして「アルディ」は森林で生きていけたのですか？</p>
<p>
	「森林では絶対に進化できない」と言ったのは、直立二足歩行「獲得」についての、私の見解です。アルディは「中間点」であって、その過程で森林に再度適応した形質、と言う想定です</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;「考え方」が間違っているから，事実に対して真っ当な解釈ができないんです<br />
	&gt;ここで雄さんがみんなから批判されるのは，決して「雄さんがアクア説支持者だから」ではありませんよ</p>
<p>
	ご批判は胸に刻みます。今回は結構素直に迫っていたと思うんですが。<br />
	ただ「そう言うものなんです」では納得しかねた。そう言うことでした。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>水産資源の利用？　など - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/post-20.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.152</id>

    <published>2010-02-25T02:20:19Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:46:59Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	RE mのりさん、遅くなりました。 	&gt;雄さん　大勢の方々の反論を一気...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p>
	RE mのりさん、遅くなりました。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;雄さん　大勢の方々の反論を一気に引き受けて大変そうですね。</p>
<p>
	何時ものことで。私の人間的至らなさも有るのですが。<br />
	でも今回は単にホワイト達の論文と、アルディの紹介で終わると思っていたんですが、つかまってしまいました。<br />
	しかしそれもそろそろ終わりかな、と思っています。私からすると同じ内容の繰り返し、水掛け論に入って来たような感じがします。</p>
<p>
	色々楽しかったですよ。新しい着想も沢山有りましたし。<br />
	mのりさん、有難うございました。</p>
]]>
        <![CDATA[<p style="margin-left: 80px;">
	&gt;ああ、やっぱり辛口の批判になってしまいましたね。</p>
<p>
	いやいやどうしてどうして。<br />
	この程度の批判を「辛口」だと思うようでは、到底この板に乗っていることは出来ません。</p>
<p>
	ただ他の方々へのコメントでも触れましたが、私は一連のスレッドの中で「アクア説」の具体的内容について立ち入っていません。要するにここでアクア説を直接主張してはいません。<br />
	mのりさんから「『水棲直立説』反論の続き」を頂きましたが、個々の細目に拘ってもここではあまり意味が無いと思っています。</p>
<p>
	ですからその点については、どうしても黙過出来ない1点を除き、今回は割愛させて頂きます。<br />
	「アクア説」そのものがテーマとなり、気楽な意見交換が出来る時が有ったら、あーでも無いこーでも無いと、論じ合ってみたいとは思います。</p>
<p>
	&hellip;と言うことで、先ずは「水の中」に入る前に「森の中」から。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;直立歩行へのシナリオは実は簡潔なものだったと私は思っています。</p>
<p>
	簡潔で有れ複雑で有れ、「森の中」だけで考えた時、避けられないジレンマが有るのです。既に述べていることですが。</p>
<ul>
	<li>
		そんなに簡潔で、しかも適応的なことだったら、何故ヒトだけだったのか？<br />
		他の類人猿で、その方向に進化した種が皆無なのは何故か？</li>
	<li>
		隔離の無い森の中で、チンプ系統を置いて、どうしてヒト系統だけ分岐したか？</li>
</ul>
<p>
	この説明が「森林説」の全てのバリエーションにとって、自説を正当化する為のハードルになる訳です。ここでもとうとう、そのまともな説明を聞くことは出来ませんでしたね。</p>
<p>
	&hellip;と言うことで出て来た、mのりさんの説明ですが&hellip;&hellip;&hellip;。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;上半身に改良を加えることなく、脚力を発達させることのみに専念したほうが合理的だったんだと思いますよ。</p>
<ul>
	<li>
		そもそも何故森の中で、そんな余計なことをする必要が有ったのか？<br />
		要するに「何の為に」が説明されていません。しかも高い代償を払いながら。</li>
	<li>
		こちらの方がメインなのですが、<br />
		「専念したほうが合理的」と言うのは目的論です。<br />
		自然淘汰は将来の得べかりし利益は拾ってくれません。その時点でそのこと自体が適応的でないと、その方向への進化は有り得ないと言うことです。</li>
</ul>
<p>
	つまりは説明になっていません。<br />
	「説明を付けた」こと自体は評価しますが、残念ながら「進化生物学の新しいヒーロー」には、未だ遠いようです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	「『水棲直立説』反論の続き」について、上記したように1点だけ述べさせて頂きます。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;水産資源を利用したにはホモ・サピエンスからとされます。</p>
<p>
	何処からの出典か分かりませんが、これは到底容認できません。</p>
<ol>
	<li>
		魚介、ウミガメの卵、海藻・水草など、若し手に入る時にそれを選り好みしている余裕は、我々の祖先には無かったでしょう。<br />
		なんでも食って来たからこそ、生き延びて来たとも言える訳です。<br />
		サヘラントロプス、ルーシーともに、魚やワニの化石、水草などと一緒に発見されています<br />
		サヘラントロプス（トゥーマイ）の歯を解析した、仏、モンテペリエ大教授、ジャン・ジャック・ジャジェー博士は、その形状、エナメル質の状況などから、トゥーマイの食性は他の類人猿と異なり、雑食性だったと結論付けています。アリ等も含め、食えるものは何でも食っていたことでしょう。</li>
	<li>
		脳の増大を支える為には豊富で良質なタンパク質を、それも雨季・乾季等を問わず切れ目なく摂取する必要が有ります。<br />
		脳の増大が顕著になって来たのはホモ・ハビリス辺りからで、それ以前からタンパク質の摂取が継続的になされていなければ考えにくいことです。<br />
		初期人類がけものの肉を、豊富に食えていたとは考えにくい。事実サバンナでの狩りの達人達（チーターにしろライオンにしろ）も、大方は空腹状態が多いのではないでしょうか。ましてヨチヨチ歩きで爪や牙も持たない人間が、どうして？　と言うことです。<br />
		それに陸上では、雨季・乾季等でタンパク質摂取が途切れがちになることは、多々有ったでしょうし。</li>
	<li>
		脳の成長に必須とされるDHA（ドコサヘキサエン酸）等の脂肪酸は、人間の体内で合成できず、主に魚の脂肪から摂取されているそうですね（最近の、脳に良く効くブームを考えると納得できます）。<br />
		これも、陸上依存だけでは考えにくいことです。</li>
</ol>
<p>
	「水産資源を利用したのはホモ・サピエンスからとされます」と言う説は、納得しかねますね。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ハダカ　二足歩行 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/post-19.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.151</id>

    <published>2010-02-24T02:17:41Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:47:24Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;ハダカ 	http://6609.teacup.com/natrom...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;ハダカ</p>
<p>
	http://6609.teacup.com/natrom/bbs/10294<br />
	こちらを再読下さい。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;&gt;無毛性について一言だけ言うなら、アクア説を採れば、ヒトだけの特殊性を主張できます。<br />
	&gt;&gt;しかし森林説を採る限り、「何故ヒトだけが」「そんなに適応的なのであれば、何故他の種にそれが発達しないのか」と言う、特有のジレンマがここでも発生します。<br />
	&gt;&gt;それに、森の中で裸のサルは、より一層考えにくい。</p>
<p>
	これしか述べていません。<br />
	繰り返し述べているように、700万年前何が有ったかを特定するのは困難です。その中での個別の事象について、細かい議論をしてもあまり意味は無いと思っています。<br />
	事実、アクア説そのものについての具体的な主張を、ここでは一切して来なかった筈です。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	ただアクア説の場合、仮定としては色々想定できるので&hellip;&hellip;&hellip;、<br />
	例えば、一旦無毛の方向に進化し始めた場合、今度はオスメスともに、その方向に性淘汰が働き、一定の時間的経過を辿って今の状況になった。とか。</p>
<p>
	それより他人に答えさせるだけでなく、GBさんはどう思っているのですか？<br />
	ラミダス猿人の復元模型から始まって、今の人間の無毛は何時、何処で、どう言う理由でなったのか？<br />
	GBさんの対案を、勿論仮説で結構です。お聞かせ下さい。<br />
	多分この答えも又、森の中には無い筈ですよ。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;二足歩行<br />
	&gt;森の中で始まった、「現生人類と比べれば未完成な」２足歩行が、その後サバンナに進出したことによって洗練されたと考えてもいいんじゃないですか？</p>
<p>
	ひとえに「最初の1歩」です。<br />
	「アルディが、或いはトゥーマイが直立二足歩行をしていた」と言う時、仮にどれ程「「現生人類と比べれば未完成」で有っても、それは類人猿が時折見せる、直立、二足歩行とは、質的に異なる状況を言います。</p>
<p>
	大腿骨の化石1本有れば、その違いを判別できる程度に、全身骨格の変化を伴った状況です。トゥーマイの場合頭蓋骨の形が変わっています。</p>
<p>
	その「最初の1歩」が、何時、何処で、どう言うメカニズムで始まったか？<br />
	それが問題なので有って、それさえ解明されればその後、サバンナで有ろうが森の中で有ろうが、或いは現在のアスファルトの上で有ろうが、それは二の次です。<br />
	その意味で人類の全歴史は、直立二足歩行に「洗練」している過程だと言えるでしょう。<br />
	人類は未だに腰痛やヘルニア、メスの難産など、直立二足歩行に伴うトラブルを克服しきれていません。</p>
<p>
	今だって直立二足歩行の達人たちは、100メートルを10秒切る早さで移動することに「洗練」している過程だし、スケートを履いて氷の上で4回転のジャンプをしてから、転ばずに氷の上に立つよう「洗練」している過程だと言えるでしょう。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>アクア説の妥当性 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/post-18.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.150</id>

    <published>2010-02-24T02:14:58Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:47:50Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	RE AHさん 	&gt;また、レスがあまりに膨れ上がるのをなるべく避けるつ...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p>
	RE AHさん</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;また、レスがあまりに膨れ上がるのをなるべく避けるつもりで「今回は長文を書き込まない」としたのですが、御気分を害されたことについてはお詫びします。</p>
<p>
	私も未だ人間が出来ていなく、つい過剰反応に走ります。<br />
	こちらこそ失礼いたしました。今後も宜しくお願いします（って、そろそろこのトピについては、収束気味ですが）。</p>
<p>
	と言うことで、色々拘ろうと思えばこだわりたい部分も有るのですが、細かい部分について突っ込むのは止めておきます。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	ただ一つだけ。<br />
	私は今回のトピの中で、アクア説そのものの主張は多分、一切していない筈です。<br />
	700万年前、物証もない中、そもそも何が有ったかハッキリしない中での、アクア説の主張などしたら、狼の中に肉を投げ込むようなもので、その対応にてんてこ舞いになるでしょう。<br />
	アクア説を正当化する為に、直立二足歩行獲得の契機・メカニズムを論じていた訳では有りません。ヒトの直立二足歩行はそんな矮小化されたものではない筈だからです。</p>
<p>
	ですから&hellip;&hellip;、</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;現在、二足歩行を主とする生物はヒトしかいませんが、そのために特殊な事情を敢えて考える理由があるか、そしてそのためにアクア説を持ち出す妥当性があるかどうか、という意味です。</p>
<p>
	&hellip;この批判は当たりません。<br />
	私が専ら議論の対象にして来たのは「森の中」です。水の中以前の問題です。</p>
<p>
	サバンナ説が破綻した今、大いに「森の中での直立二足歩行」獲得のメカニズムを論ずればいいでしょう。<br />
	しかし、ここでも見られたように、その説明はおそらく不可能です。私はそう思っています。</p>
<p>
	その後、否応なく次の要因を模索せざるを得ない段階に、進化人類学全体が進みます。<br />
	その時に、一つの有力な仮説としてアクア説が浮かび上がってくる。<br />
	前にも書いたように、私はそう予想（予言といってもいい）しています。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>直立二足歩行、森、アクア説 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/post-17.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.149</id>

    <published>2010-02-23T02:04:59Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:48:15Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;すなわち、分岐は可能である、と。 	&gt;少なくとも「森林における...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;すなわち、分岐は可能である、と。<br />
	&gt;少なくとも「森林における分岐は可能である」と仰っている点と&hellip;&hellip;&hellip;、</p>
<p>
	書き方で誤読させてしまったか知れませんが、私は「森の中でのヒトの分岐は考えられない」と言う主張ですよ。それも一貫して。<br />
	「森林における分岐は可能である」と仰る方に、「ではそのメカニズムを説明して下さい」とお願いしている訳ですが、「そう言うものです」しか帰って来ない。それでは、私は納得できないと、何度も述べているところです。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	今回のスレッドで、極端に言えばこれしか言っていません。読んで貰ってさえいれば当然理解しているものと思ってましたので。<br />
	AHさんの前回の質問も、それを理解して、前提としての質問じゃなかったんですか。<br />
	ですよね、AHさん。</p>
<p>
	ヒトの分岐そのものは現実に起きたことです。<br />
	私はそれは「水」が関与しているのだろうと、これも繰り返し述べている筈であって、森の中での分岐を肯定したことは一度も有りません。</p>
<p>
	私はこのトピで最初の意図に反し、又何人かの批判に対応せざるを得なくなっています。<br />
	批判する人も、少なくとも全ての書き込みを読んだ上で、重複するような質問は避けて欲しい。是非お願いします。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;決めないまま、というよりも、「人類」が生物学的には「類人猿の一種」であり、同時に「自分自身」であるがゆえに、線引きに苦慮しているように私には思えます。<br />
	&gt;はっきり言えば、線引きなど無くても良いのです。あっても構いませんが。</p>
<p>
	それはもう、AHさんがどのようにお考えになろうが、「それはそれでいいんじゃないの」です。<br />
	私自身は、それを問題意識としない進化人類学は、およそ科学と言えない。そう言う見解ですので。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;二足歩行についてのみ「何か特殊な理由」を求めるのは、雄さんが前回と同様、二足歩行を「特別なもの」と御考えだからでしょう。</p>
<p>
	だから何回も言っているように「特殊」で無く普通の理由を説明して貰えればいいんですよ。それだけのことです。説明できないこと自体、私から見たら特殊です。<br />
	700万年前、分子が示す分岐年代と、殆ど間を置かず獲得したらしい直立二足歩行の、その理由を、AH1さんが普通に、納得できる理由を出してくれれば、即座にAH教に趣旨がえします。</p>
<p>
	直立二足歩行そのものについて、私は特殊だと思っています。多くの解剖学者もね。<br />
	何が無くても直立二足歩行の痕跡さえ有れば、その化石はヒトに分類される。こんな指標を「特別なもの」と思わず、それに対する説明が付かない程の理由を「何か特殊な理由」だと思わない方が、私には余程、特殊です。</p>
<p>
	少し進化人類学者の声を聞いてみます（但し引用はモーガンからです。信じるか信じないかはどうぞご勝手に。モーガンは全て出典明記済み）。</p>
<ul>
	<li>
		C・O・ラヴジョイ<br />
		（四足動物が後ろ足で立ち上がるなどと言うのは）「およそ正気の沙汰ではない」。</li>
	<li>
		スティーヴン・ジェイ・グールド<br />
		（数ある人間の特徴の中で、一番説明しにくいと考え、こう述べる）「直立姿勢を取れるように進化するには、とても大変なことだ。体の造りを、素早くかつ根本的に変えなければならないのだから」</li>
	<li>
		ジョン・ネイピア<br />
		「人間が歩くと、一歩進むごとに、今にもバランスが崩れそうなほど体が揺らぐ。他の動物では、そのようなことは有り得ない」</li>
	<li>
		F・ウッド・ジョーンズ<br />
		「余程特別な環境に住んでいたのでない限り、&hellip;&hellip;&hellip;このような姿勢の生き物が武器なしでどうやって生き延びられたのか、全く不思議だ」</li>
</ul>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;しかし、類人猿に関する研究は、彼等もまた二足歩行が「できる」ことを示しています。チンパンジーがヒトにもっとも近縁な種であるとすれば、最節約的に考えれば、チンパンジーとヒトの共通祖先は既に「ある程度は二本足で歩くことができた」はずでしょう。<br />
	何の理由もないのにチンパンジーは二足歩行したのですか？</p>
<p>
	理由は有りますよ。それを示す観察記録も有ります。<br />
	そしてそれが又、より一層ヒトの（ヒトだけの）直立二足歩行の特殊性を際立たせるものになっています。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	K・D・ハント　1994年発表<br />
	野生のチンパンジー対象に、700時間以上の観察。<br />
	遠くを見渡す為―2%　運搬行動（赤ん坊を抱いて運ぶなど）―1%<br />
	優位性を示すディスプレー―1%<br />
	採食行動―80%（採食と無関係な移動の際の、二足歩行は全く見られなかった）。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	述べ1万4千700時間の観察の中で、二足歩行の頻度は97例のみ。<br />
	その中で「直立姿勢」を超えて、「歩行」が見られたのは4%のみ。その距離も僅か。</p>
<p>
	勿論観察はこれだけじゃないでしょう。日本の類人猿観察は先進的ですし、ボノボの観察記録も有りますしね。<br />
	しかし言えることは、類人猿の「直立二足歩行」はそれ程ポピュラーなものではないらしいし、全て必要な「理由」が有る時だけ、それも有る程度パターン化されていると言うことです。</p>
<p>
	この「理由」を超えて、椎間板に負担の掛かる「直立二足歩行」を、彼らは長くは続けません。<br />
	この「理由」を超えて、常時、移動方法そのものが直立二足歩行に特化した種は「ヒト」だけです。ヒトの場合この「理由」づけが重要なのですが、それがなされて来なかった、と言うことです。</p>
<p>
	繰り返し述べているように「直立二足歩行をヒトの最大の指標」とすることは、現代進化人類学の定説です。<br />
	それに異議を唱えるのはAH1さんの自由ですが、出来たら文句は進化人類学会に言って下さい。或いは説明責任を果たしてからここで述べて下さい。</p>
<p>
	最も近縁なゴリラ、チンパンジー・ボノボ、ヒトだけ見ても、繁殖戦略がまるで違います。と言うことは、当然分岐した後で発達した形質でしょうね。<br />
	ヒトの場合少し事情が違いますが、そこにはメスの棲息密度を規定する食糧事情、つまり環境の違いが有った筈です。<br />
	ボルネオ、スマトラ棲息のテナガザル、オランウータンとも、より顕著な違いが有ります。</p>
<p>
	繁殖（自己複製）戦略は、生物と言う視点から見れば、移動方法等より遥かに上位なコア概念です。全ての生物はその最適化の為に進化して来たと言っていいでしょう。</p>
<p>
	萌芽的な二足歩行が、共通祖先の段階で既に有ったのか、繁殖戦略のように分岐してから独自に発達したものか、その辺は私には分かりません。<br />
	印象としては、分岐後、それぞれが置かれた環境とその必要に応じて、独自に発達させた方に、私は確信を持って一票です。</p>
<p>
	ヒトはその進化の過程で、ナックル歩行を一度もしていないらしいとの研究成果が有ります。赤ん坊も手のひらをついてハイハイします。<br />
	つまり起源としてもチンパンジーやゴリラの二足歩行とは違うことが示唆されます。<br />
	「チンパンジーとヒトの共通祖先は既に『ある程度は二本足で歩くことができた』」との考えが、最節約的だとは、私は全然考えません。</p>
<p>
	仮にそうだったとしても、ヒトの直立二足歩行の特殊性が些かも薄まるものではないと考えます。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;例えば鳥類は（あるいはムササビやヒヨケザルは）なぜ「飛行」などという特殊な移動方法を獲得しなければならなかったのですか？その環境に進出した唯一の種でもなく、その環境における唯一許されるロコモーションでもない事は、考えるまでもないと思うのですが。</p>
<p>
	AHさんは「飛行」が特殊だと思っているのですか（勿論、それぞれが特殊であることを否定しませんが、そう言う話で無く）。</p>
<p>
	これも既出ですが、飛行している動物など数え切れない程いますよ。種や属を超えてね。多くの鳥類、多分種類を特定できない程の昆虫、コウモリ、（あるいはムササビやヒヨケザル）過去には翼竜等など。何万とか数百万種とかのオーダーでしょう。昆虫を入れて。<br />
	この何処が特殊ですか。「考えるまでもないと思うのですが」。</p>
<p>
	飛行であれ水中であれ、結果的に何らかの移動様式に帰着する訳で、要するに生物の多様性です。<br />
	それに対し、ヒトの直立二足歩行はヒト以外に有りません。<br />
	この「直立二足歩行」が特殊で無く、比較として「飛行」を特殊だとするなら、「特殊」そのものの解釈が「特殊」なんじゃないですか。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;それとも、チンプは一度は水に入って二足歩行を獲得し、しかる後に樹上生活へと戻った、すなわち「分岐順序からすればヒトだが、二足歩行定義によるとその後ヒトでなくなった」種なのですか？<br />
	&gt;もし「ホモ・サピエンスのような完全な二足歩行」にこだわるとしたら、どこで分けましょうか。アルディピテクスは土踏まずが発達していない事、拇指対向が強いことから、ホモ・サピエンスほどの走行能力はもっていなかったと思われます。彼等はヒトですか？</p>
<p>
	そんなこと、過去にもう何度も「熱弁をふる」っていますよ。私もこれ以上「再度ここで長文を書き込む気はありません。」<br />
	本当に関心がお有りでしたら、是非読み直して下さい。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>アクア説と無毛性 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/post-16.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.148</id>

    <published>2010-02-22T02:00:00Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:48:41Z</updated>

    <summary> 	「サバンナ説」「イーストサイド・ストーリー」が破綻した今、私自身としてはアク...</summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p>
	「サバンナ説」「イーストサイド・ストーリー」が破綻した今、私自身としてはアクア説にますます傾斜してはいるのですが、ここでの議論の経過を見て頂ければお分かりのように、内容に沿ったアクア説そのものの主張を、私は殆どしてこなかった積りです。<br />
	アクア説を傍証する、例えば毳毛、水の流れに沿った毛流、皮下脂肪、太った胎児等など、モーガンがこれでもか、これでもかと書いている要因にも一切触れていません。<br />
	無毛性に関しては、mのりさんからもご指摘を頂いています。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	このトピの出発点、そしてここでの私の一番のテーマとしては、今回のホワイト達の発表により、サバンナ、ストーリー説が破綻した今、求められるものは何か、と言うことで&hellip;&hellip;、</p>
<ol>
	<li>
		森の中での直立2足歩行獲得のメカニズムを説明できるか</li>
	<li>
		サバンナ以外の、森でないところでの要因を探すか</li>
</ol>
<p>
	&hellip;に沿った議論をしてきました。環境と淘汰圧、隔離を中心に。</p>
<p>
	言わば「アクア説」以前の問題です。<br />
	森の中での直立2足歩行獲得のメカニズムは、私には説明できないと思うし、森以外の要因として、私は水を考えている、と言うことでした。水以外は考えられない、と言った方がいいか。</p>
<p>
	アクア説の具体的な内容に関しては、今ここに出しても、多分終止のつかないことになります。<br />
	GBさんへのコメントでも書いたことですが「700万年前に『なにが有ったか』を特定するのは非常に難しい」。</p>
<p>
	今後、</p>
<ol>
	<li>
		森の中での直立二足歩行獲得のメカニズム<br />
		&hellip;について議論が熟し、私としては、</li>
	<li>
		サバンナ以外の、森でないところでの要因<br />
		&hellip;を、進化人類学全体で模索せざるを得ない時期が来た時、一つの有力な仮説としてアクア説が浮上してくるものと思っています。</li>
</ol>
<p>
	それまでは「人類のルーツを巡るロマン」と言う感じで、あまり緊張感のない雰囲気で、見解の相違を尊重しながら、気楽に語られるといいと思っています。率直に言って個々の専門的な要素に対し、私は反論する知識が有りません。</p>
<p>
	アクア説を支持しながらも、一部モーガンの主張に異議を唱えている人もいますし。</p>
<p>
	無毛性について一言だけ言うなら、アクア説を採れば、ヒトだけの特殊性を主張できます。<br />
	しかし森林説を採る限り、「何故ヒトだけが」「そんなに適応的なのであれば、何故他の種にそれが発達しないのか」と言う、特有のジレンマがここでも発生します。<br />
	それに、森の中で裸のサルは、より一層考えにくい。</p>
<p>
	こんなところで勘弁して下さい。<br />
	なお専門的な情報提供は、仮に批判的な立場からでも歓迎するものです。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>定義 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/post-15.html" />
    <id>tag:adam.y-ok.com,2010:/-blog//22.147</id>

    <published>2010-02-22T01:57:05Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:49:05Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;この辞典の定義は、現在のヒトと類人猿を区別するためのものですね。それ...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;この辞典の定義は、現在のヒトと類人猿を区別するためのものですね。それだけのことであって、</p>
<p>
	実は後出しで、大変バツが悪いのですが、確かにこの点は私も途中で気が付いていて、いつかの時点で訂正しようと思っていました。<br />
	ただ議論に追われていたもので、途中、断りも無く変更するのもナンだと思い、取りあえず引き続き使っていました。</p>
<p>
	「ヒトの定義の第一項目は直立二足歩行」で間違いだとは思わないのですが、ただ定義と言うことになると、系統だとか形質など多岐に渡り、その中には確かに便宜的な要素も有るでしょう。今回の議論としては焦点がぼやけると言う嫌いも有ります。<br />
	直立二足歩行に関しては便宜的ではないと、前回も述べた通りですが。</p>
<p>
	そこで、第３掲示板「ヒト起源」論争でも専ら使っていた&hellip;&hellip;、</p>
<p>
	<strong>「ヒトを他のサルたちと区別する一番の指標は「直立二足歩行」です」<br />
	</strong></p>
<p>
	&hellip;に、今後は訂正させて頂きます。<br />
	岩波の記述は、これを根拠づけるものとしてお受け取り下さい。<br />
	大変失礼しました。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	ただ最初に述べたように、直立二足歩行の重要性は決定的ですし、それで全体の論旨が変更される訳では有りません。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ことのついでにここで弁明しておきますが、SN30から「『二足走行』している種として、エリマキトカゲやらシファカなどが有るじゃないか」との指摘が有り、これは私の宿題として残っています。<br />
	私なりの答えは持っているのですが、一応、頬っかぶりをしている訳じゃない、と言うことだけ。</p>
<p>
	もう一つ、「絶滅種を含めて、直立二足歩行に特化した動物が、1種でも有るか？」と質問をした部分が有りました。<br />
	1種と言うと、ヒトでも細かい分類になってしまいます。<br />
	私の記述ミスです「ヒト以外に有るか」と訂正しておきます。</p>
]]>
    </content>
</entry>

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    <title>分岐とその理由 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://adam.y-ok.com/-blog/2010/02/post-14.html" />
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    <published>2010-02-22T01:53:08Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:49:27Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;カエルやParus属においては分岐できたわけですが， 	彼らにできて...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;カエルやParus属においては分岐できたわけですが，<br />
	彼らにできてヒト上科にできない理由はあるのでしょうか？</p>
<p>
	いやいや、私が「出来ない」と言っているのは、分岐そのもので無くその説明です。<br />
	現実にヒトとチンパンジー・ボノボ系統は分岐しているし、ヒト上科も分岐そのものは充分出来ていますよね。「ヒト上科」で検索すればいっぱい出て来ますから。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	その中で、共通祖先からのヒトの分岐は、実際に説明できていません。<br />
	GBさんへのコメントでも引用しましたが、ドナルド・ジョハンソンの言葉&hellip;&hellip;、</p>
<p>
	「科学が何が人類なのかをはっきり決めないままに、これまで一世紀以上もの間、人類と先人類、そしてプロト人類について論議して来たことは、滑稽に思われるかもしれない。滑稽であるにしろないにしろ、そんな状況だったのだ」</p>
<p>
	&hellip;が、それを如実に表わしていると思います。<br />
	SN30さんの、「そう言うものです」も又、説明できないことの白状でしょう。</p>
<p>
	それは何故か？<br />
	ひとえに「ヒトと類人猿を分ける第一の要因」直立二足歩行が、特殊な移動様式だからでしょう。<br />
	解剖学的にはトンデモ無い設計ミスと言うことであり、その為の代償を、腰痛、ヘルニア、肩こり、痔、メスの難産、（もっといっぱい有ったのですが、手元に資料が有りません）等などの形で今も支払っています。</p>
<p>
	この代償は直立二足歩行を始めた当初程高かった筈であって、こんな代償を払いながら、森の中で直立二足歩行に移行する必要、必然性が、本当に有ったのか、これが説明を困難にしている一番の理由でしょう。<br />
	しかも、隔離も考え難い中で。</p>
<p>
	サバンナ説が生きていたころは、「サバンナと言う新しい環境に適応する為」と言う大義名分と森からの隔離が、兎も角も成り立ったのですが、それが破綻した今、森の中には説明する要因が何もない訳です。</p>
<p>
	若し今、森の中での直立二足歩行のメカニズムを、無理なくスマートに説明出来たら、進化人類学の輝けるヒーローになれるかも知れません。<br />
	AHさん、トライしてみませんか？</p>
]]>
    </content>
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    <title>科学の営為 - アダムとイブの林檎-Blog</title>
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    <published>2010-02-21T01:45:29Z</published>
    <updated>2010-02-28T02:49:53Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&gt;科学が明らかにしたいのは人類の進化の「歩み」なので、先入観・思い込み...]]></summary>
    <author>
        <name>雄</name>
        <uri>http://y-ok.com</uri>
    </author>
    
        <category term="アルディ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adam.y-ok.com/-blog/">
        <![CDATA[<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;科学が明らかにしたいのは人類の進化の「歩み」なので、先入観・思い込みをできる限り排しながら、きちんと確認できる事実から説明を組み立ててるわけで、「二足歩行」だけに頼った明確な線引きは難しい、<br />
	今後「直立二足歩行」という（便宜的な）定義も捨てられるかもしれない。それが、科学の方法（考え方）ではないでしょうか。</p>
<p>
	勿論「人類の進化の『歩み』」全体がくまなく明らかになれば、それが一番いいんでしょうが、実際はホンの僅かな「点」をつなぎ合わせて、その「歩み」を跡付けているのが現状でしょうね。発見されている初期人類の化石は余りにも少ない。<br />
	そして同じ点でも、「中間点」よりは「出発点」に関心が向きやすいし、そこが定まらないと全体の「歩み」も定まらない訳で、私の関心も専らそこに集中していると言う訳です。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	「最初のヒト」（新書館、アン・ギボンズ著）の、『ヒトの定義』と言う項目の冒頭、ルーシー発見者のドン・ジョハンソンの次の言葉が載っています。</p>
<p>
	「科学が何が人類なのかをはっきり決めないままに、これまで一世紀以上もの間、人類と先人類、そしてプロト人類について論議して来たことは、滑稽に思われるかもしれない。滑稽であるにしろないにしろ、そんな状況だったのだ」</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ルーシーの発見（1974年）はその意味で、一つの転換点になったでしょう。<br />
	同時に1975年、同じアウストラロピテクス・アファレンシスと見られる、あの有名な足跡化石が、メアリー・リーキーによって発見され、ルーシーの直立2足歩行が直接証明された形になっています。</p>
<p>
	時期的には丁度その頃、前回少し触れた「ラマピテクス」の顎骨が、他ならぬラマピテクス初期人類説を主張していた、デイヴィッド・ピルビーム本人によって発見され（1974、75年）、ピルビーム自身の敗北宣言とも言える形で、進化人類学は分子による解析も含めた、新しい段階に入ったと言えるでしょう。</p>
<p>
	ルーシーの特徴の第一は、「チンパンジー並みの脳容量」と「直立2足歩行」の併存です。<br />
	脳の目立った拡大はルーシーよりずっと後、200万年前位のホモ属（ホモ・ハビリス）辺りから顕著になる出来事です。</p>
<p>
	「ヒトの祖先は、脳容量の増大、道具の作成など、全ての人間的指標の前に、先ず直立2足歩行を獲得した」。この命題が進化人類学全体の共通の認識になったのです。<br />
	この事実はおそらく今後も覆らないでしょう。<br />
	ルーシー以降相次いで発見された、より古い時代の化石によっても更に明確に裏付けられている「事実」です。</p>
<p>
	科学の世界で「絶対」は禁句だと言うことですが、古い地層で脳容量の増大が先行し、それを追う形で直立2足歩行が発達した、等の化石はおそらく「絶対に」発見されないでしょうね。<br />
	ですから少なくとも今現在、ヒトを他の類人猿と区別する指標として、直立2足歩行は「便宜的」でなど無い、と固く信じています。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;歯は、大事ですね、分類学上の手がかりとしても。そういう知見もふまえながら、</p>
<p>
	歯の重要性については既に私も述べています。<br />
	そこでも述べている通り、重要では有るけれども直立2足歩行と同列では無い、と言うことです。</p>
<p>
	少し考えて頂ければ直ぐ分かることだと思うのですが、歯の形質は食性（食べ物）に依存するでしょう。何を食っていたかは棲息環境に依存します。GBさんが引用してくれた記事内容そのものです。<br />
	「サバンナで草の根など土まじりの硬いものを食べたアウストラロピテクスに比べ、ラミダス猿人の臼歯は小さく、エナメル質は薄かった。地上と樹上をともに生活圏とし、開けた森の中で果実やキノコ、昆虫など柔らかい物を食べたらしい」</p>
<p>
	ここでもやはり移動方法とそれに伴う棲息環境が先行するでしょう。その逆では有りません。木の上で先ず歯だけが変化し、それに合わせて移動方法が変わることは「絶対」無い筈です。</p>
<p>
	実はジョハンソンがルーシーを見つけた1974年、オロリン・ツゲネンシス発見者の一人、マーティン・ピクフォード（当時大学院生）が、ルーシーよりも2倍も古い1本の大臼歯を発見しています。そしてその歯はネイチャーにも掲載されました。<br />
	しかしルーシーの陰で、その歯は一般マスコミからは殆ど無視されました。<br />
	前出の「最初のヒト」の中で著者のアン・ギボンズは「いかに古かろうと、たった1本の大臼歯は、部分骨格と比べれば、取るに足りない1かけらだった」と述べています。</p>
<p>
	ピクフォード自身こう述懐しています。<br />
	「私は、いつも言っていたのです。その歯はヒト科のもので、ルーシーの倍も古いんだ、と。でも、その歯は、大した関心を呼びませんでしたね」と。</p>
<p>
	若しそれが歯でなく、大腿骨の1本だったら、多分様相は全く違っていたでしょう。何しろ古さが古さですから。<br />
	歯は重要ですが、やはり直立2足歩行を補完する程度の比重なんですね。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;先入観・思い込みをできる限り排しながら、きちんと確認できる事実から説明を組み立ててるわけで、「二足歩行」だけに頼った明確な線引きは難しい、</p>
<p>
	ここまでの私の主張を見ても分かって頂けると思うのですが、私は「先入観・思い込み」を先行したつもりは有りません。<br />
	なるべく「きちんと確認できる事実から説明を組み立てて」いるつもりですが、若しそうでないと言うところが有りましたら、ご指摘下さい。</p>
<p>
	そして事実は事実として、なるべく根拠を示しながら、しかし同時に自分の見解も正面から述べて来たつもりです。自分の見解も述べずに、ただ他人の批判や揚げ足取りだけをするのはフェアじゃないと、私は思っているところです。</p>
<p>
	その場合、自分の見解の裏付けとなる「事実関係」について、相手からの批判があり、それが不当だと思えばそれは争います。<br />
	そしてそれは「事実」そのものによって、比較的容易に決着が付くものです。</p>
<p>
	しかし、それぞれの個人的見解は有る程度自由でいいと思っています。「見解の相違は相違として」とは、私の口癖でも有りますからね。ましてNet上の掲示板では。<br />
	出来れば事実関係を共有しながら、その上でお互いの見解を認めつつ、相違をすり合わせればいいんじゃないですか。</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;そもそもホモ属についての仮説であったサバンナ説も含め、容易ではないけれども、様々な仮説をたたかわせること、それが科学の営為ってもんだと思いますけどね</p>
<p>
	一般論としては全くその通りなんでしょうけど、現時点での「確認できる事実から」明確に否定できる仮説は、仮にどれ程権威の有った仮説で有れ、排除して新しい知的到達に立った前向きな議論をすること、「それが科学の営為ってもんだと思いますけどね」。</p>
<p>
	700万年前に「なにが有ったか」を特定するのは非常に難しい。しかし観察事実から「有り得ないこと」を指摘することは出来ます。<br />
	440万年前のアルディと、サバンナは両立しない。まして600万年前のオロリン、700万年前のサヘラントロプスはなおさらです。</p>
<p>
	今回のホワイト達の発表より遥か以前、つまりサヘラントロプスの発見された2002年当時、「ストーリー提唱者」のイヴ・コバン自身、自説を撤回していることは既に何度も述べています。<br />
	私はこのコバンの科学的誠実さに敬意を表します。<br />
	若しコバンが自身の権威と面子にこだわって、言い訳やら補足説明で言い逃れをしようとしていたら、進化人類学における彼の権威そのものが失墜していたでしょう。<br />
	併せて上記、ピルビームも立派だと思います。</p>
<p>
	イヴ・コバンやピルビームと比較する積りは毛頭ないのですが、私も自説が間違っていたと分かったら、その時点で訂正、撤回している積りです。それが後に傷を広げない為の一番の方法だと思うからです。<br />
	例えば、宇宙空間における真空で、私は瞬間的にフリーズドライになると考え、そう主張しましたが、SN30さんに教えて貰い、「目からウロコ」で直ぐに撤回しました。<br />
	或いは今回、ヒト遺伝子の一様性を最初のヒトグループと結び付けて理解し、主張しましたが、これもSN30さんからの指摘で、直ぐ撤回しました。<br />
	SN30さん、色々有難うございました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left: 40px;">
	&gt;P.S.<br />
	残念ながら、アクア説は科学の理論として認められてないんですね。<br />
	科学的方法のまな板にのるだけの証拠がないから、ですね。</p>
<p>
	この辺は「見解の相違」にしてもいいのですが、今まで「アクア説」が主張される時、一番の壁となって来たのは「サバンナ説」「イーストサイド・ストーリー」なんですね。<br />
	その他の、ある程度筋の通った「説」は、アフリカの地質学的歴史を考えても、そんなに想定は出来ないし、事実私の知る限り有りません。今回「森林説」が、昔の名前で出てきましたけどね。</p>
<p>
	その「サバンナ説「ストーリー」の破綻が確定した今、私は相対的にアクア説の位置づけは上がったと思っています。</p>
<p>
	ルーシーも、ワニやサカナの化石とともに出土しています。サヘラントロプスもそうです。<br />
	ただ今まで「タフォノミック・バイアス」つまり、化石は堆積層で見つかるのが普通で、水を想定させるものは考慮に入れないように、と言うことで敢えて無視されて来た経過が有ります。<br />
	繰り返し述べているように、サヘラントロプス発見者のブルネは、その棲息環境としてオカバンゴのような湿地帯を想定しています。</p>
<p>
	私はアクア説の伝道者でも何でもないので、他人がどのような「説」を採ろうと「それはそれでいいんじゃないの」と思うのですが、ただ今回のホワイト達の発表を受けて、若し今後、人類のルーツに「科学的に」言及しようとしたら、誰もが否応なく次の問題に正面から向き合わざるを得なくなるでしょう</p>
<ol>
	<li>
		森の中での直立2足歩行獲得のメカニズムを説明できるか</li>
	<li>
		サバンナ以外の、森でないところでの要因を探すか</li>
</ol>
<p>
	ですからGBさんご自身、「科学的方法のまな板にのる」仮説の提示をして頂くのが一番だと思う次第です。</p>
]]>
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