直立二足歩行?1

ヒトと他の類人猿を分ける最も基本的かつ最初に現れた要素は、直立二足歩行です。 ホミノイド(類人猿)と思しき化石が発掘されたとき、直立二足歩行の痕跡が認められればその化石種はヒトに分類されます。
直立二足歩行は、その後のヒト化の指標(道具、言葉、大きな脳など)全ての基礎であり出発点となりました。

しかし直立二足歩行は、解剖学の専門家が言うように「本来有り得ないような、とんでもない設計ミス」で あり、実際に多くの霊長類の中でヒトだけが採用しているロコモーション様式です。又その設計ミスのつけをヒトは今も払い続けています。

ヒトへの道を探ることは、この直立二足歩行を獲得した経過を探ることでもあります。

■ ヒトの直立二足歩行

 

クロマニョン人(くろまにょんじん、Cro-Magnon man)とは、南フランスで発見された人類化石に付けられた名称である。1868年、クロマニョン (Cro-Magnon) 洞窟で、鉄道工事に際して5体の人骨化石が出土し、古生物学者ルイ= ラルテ(Louis Lartet) によって研究された。ユーラシアから陸づたいにアメリカに移動し、また海をこえてオーストラリアにもわたった。過去、ネアンデルタール人を旧人或いは旧人 類と呼ぶのに対しクロマニョン人を新人或いは新人類と呼んだ時期があったが、ネアンデルタール人が「ホモサピエンスの先祖ではない」説が有力になって以降 は、クロマニョン人を新人或いは新人類と称することは少ない。

最初に発見されたネアンデルタール人類化石は、1830年にベルギーのエンギスから発見された子供の頭骨であり、1848年にはスペイン南 端のジブラルタルからも女性頭骨が見つかっている。しかし当時は進化論がほとんど知られておらず、人類の進化という概念も無かったため、その正体はわから なかった。科学的研究の対象となり、従って事実上の第1発見となったのは、1856年ドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷 (Neanderthal) にあったフェルトホッファー洞窟からのものであった。

ジャワ原人-ホモ・エレクトス(1891)ウジェーム・デュボワ-80?120万年前-トリニール、ジャワ-人類アジア起源推定

北京原人-シナントロプス・ペキネンシス(1929)デイヴィッドソン・ブラック-20?50万年前-中国、周口店(後にホモ・エレクトス に統一)

 

 

■頭が先か足が先か?

そもそも人類の誕生・進化を考えた時、最初から直立二足歩行がその要因で有ったと考えられていた訳ではありません。
1960年頃までは、先ず大脳の拡大が先行し、その他全ての人間的特徴(例えば道具の使用・作製、言葉、或いは直立二足歩行も)は、大脳の拡大後その副産 物として獲得されたと言う考えが支配的でした。

しかし現在化石から得られる証拠は、二足歩行が全てに先行して獲得され、大脳の拡大はそれにはるかに遅れて獲得されたことを明瞭に示してい ます。

アフリカに於ける人類化石収集の王朝を築いた、リーキー家のルイス・リーキーも、ヒトの祖先は先ず大き な脳を発達させた筈だと言う考えに固執していた。その為チンパンジー並みの脳しか持たないアウストラロピテクスを、ヒト科と認めはしたものの、本当の祖先 に繋がらない側枝と考えていた。

エンゲルスは1876年6月に書かれたとされる「猿が人間になるについての労働の役割」の中で、既に次 のように述べている。「おそらく始めは、木に登るさいに手に足と違った仕事を割り当てる彼らの生活の仕方に影響されたのであろうが、これらの猿は、平地を 歩くのに手の助けを借りる習慣をなくし始め、次第に直立して歩く慣わしを身に付け始めた。これをもって、猿から人間に移行する為の決定的な一歩がふみださ れたのである」。

※ ピルトダウン人―二十世紀最大の科学スキャンダル

1908年イギリスで、後に二十世紀最大の科学スキャンダルとも呼ばれるような、トンデモ「発見」が有 りました。
結論から言うと、ヒトの頭蓋骨化石と、薬品処理などで古く見せかけたオランウータンの下顎骨と歯の組み合わせで、「未だ類人猿の痕跡を残している当初か ら、脳の発達が先行しているヒト」を「創作」し、意図的に砂利採集場に置かれ、後に「発見」された事件でした。
発見されたと言う地名をとって「ピルトダウン人」と呼ばれます。

骨の破片が発見されてから三週間後、弁護士でアマチュア化石ハンターのチャールズ・ドーソンと、イギリ スの一流古生物学者、アーサー・スミス・ウッドワードが、期待に溢れた観客で満員の地質学会会場で、その骨を披露した。
その場には、優れた解剖学者として知られるアーサー・キース、もう一人、英国の輝ける解剖学者、グラフトン・エリオット・スミスも同席していた。

これら四人だけでなく当時の英国科学界全体が挙げてこの「化石」を、ヒトの祖先と持ち上げ、結果的に イッパイ食わされたのでした。
「化石」を埋め、騙した張本人が誰か、それは今もって謎となっています。一番疑われるのは発見者のドーソン本人ですが、疑惑を認める前に死亡しています。 容疑者の中にはあの、シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルも含まれています。

「他の動物と比較したヒトの最大の特徴は、脳の特異的な発達である。だからヒトは先ず最初に発達した脳 を獲得した筈だ」と言う、間違いでは有るが当時としては自然な?考えを信じ込み、その線に沿っての「先祖の化石」捏造でしたが、その真偽や意義をめぐって 学者や評論家の論争が入り乱れ、決着にいたるまで40年の歳月を要することとなりました。
二十世紀初頭と言えば、知られていた人類の祖先は、ネアンデルタールやクロマニヨン、かろうじてジャワ原人の頭骨の一部程度です。ピルトダウン人がヒトの 起源を探る鍵として注目されたのも無理からぬところです。
「ヒトは脳から進化した」とする立場からすればお誂え向きの「発見」でも有ったことでしょう。

ピルトダウン人のいかがわしさは結果的に、騙された英国科学界自身の手によって正された訳ですが、ピル トダウン人のいかがわしさは兎も角として、私がここで言いたいことは、ピルトダウン人の「発見」から100年経過し、アウストラロピテクスやサヘラントロ プスなど、正真正銘の古い先祖化石が相次いで発見されている現在、いまだに「洞察力」だの「最初に脳増大の突然変異」などと主張することは、ピルトダウン 人と比較してさえも大きな科学的後退、科学的退廃であろう、と言うことです。

化石が証明している事実は、ヒトはチンプなどと分岐してから長い間、殆ど脳増大の痕跡が見られず、脳増 大の傾向が顕著になったのはホモ・ハビリス(250万年前?200万年前)辺りからだと言うことです。
そしてその時期はオ ルドワンと呼ばれる、人類最古の石器文明の発祥と重なります。

 

■ 他の霊長類、鳥類との比較

■ ヒトの直立二足歩行

ヒトが二足姿勢をとったとき、股関節と膝関節が180度に伸び、その上に胴が垂直に立ち、その線上にヒト特有の重い脳を格納した頭が乗って います。つまり重心線が垂直一直線に通っています。
重心が安定しており、二足姿勢を保つ為にエネルギーを殆ど消費せずにすみます。この姿勢以外に重い頭を支えることは困難でしょう。

この姿勢から歩き出したものを、直立二足歩行と言う訳です。
正面から見た場合も、左右の膝間接が内側に寄って間隔が狭く、歩く際の左右の重心移動が少なくて済むようになっています。

■ 他のサル達の二足歩行

ニホンザルやチンプなどもしばしば二足で立ちます。特にボノボが手に食料を抱えて相当長距離を二足歩行していた状況をテレビで見たことが有 ります。だから二足歩行は必ずしも人間の専売特許と言う訳では有りません。

しかし例えばチンプの二足姿勢は、股関節、膝関節が前後に曲がったままで、上体も前傾しています。ヒトのように骨格が直立の心棒になってい ない訳です。
言わば若干前かがみの中腰状態で、この体勢で立ち続けるには、重力に抗して常に筋肉で支えている必要が有り、立っていること自体に大きなエネルギーを必要 とします。
正面から見ても、膝が外側に離れてO脚上体になっており、歩行に際して左右への重心移動が大きく、体を大きく揺らしながら歩くことになります。

■ ダチョウの二足歩行

ニワトリやダチョウなど、鳥類も二足歩行します。しかもダチョウの二足歩行の能力は半端じゃ有りません。
これは前肢を羽根に変化させ、専ら飛翔の用に供して来たことによるもので、言わば必然の結果と言えます。ヒトやサル達の二足歩行と一緒に論じることは出来 ません。が………、

しかしこの、鳥の二足歩行の例は、逆にヒトが二足歩行に習熟して行く過程を示唆するものでは無いでしょうか。
つまり前肢にロコモーション以外の、何らかの役割が振り分けられることになった時、否応無く後肢による二足歩行に移行せざるを得ません。
つまり最初は他のサル達と同じく、稚拙で臨時的な二足歩行として出発したとして、ヒトだけがそれに特化した原因は、前肢にますます多くの役割を振り分ける 必要に迫られた為でしょう。それが道具の使用・作製だと考えられます。

■ 「木から落ちたサル」 、逆境故の”人間化”

道 具と人間」で詳しく触れますが、道具は身体器官の延長・代用です。
それまで森の中で自由に飛び回っていた「サル」が、サバンナ説にしろアクア説(下記参照)にしろ、何らかの事情で地上に降りた時、歩行さえ覚束ない先祖達 にとって、そして強力な爪も牙も持たない先祖達にとって、恐ろしい捕食者から身を守り、餌を確保する為に、その爪や牙、或いは拳の代用となる道具の使用 は、いわば必然だったのでしょう。
直立二足歩行は、道具の使用、製作の前提になりましたが、同時により頻繁な道具の使用・製作は、否応無しに手をますますロコモーションから遠ざけ、直立二 足歩行への習熟度を高めて行ったのでしょう。

つまり、環境に対しあまりにも無力な存在だったからこそ、その克服の為に道具の使用・作製の道に踏み出さざるを得なかった訳です。恵まれた 環境が人類を生んだのではなく、生き残りの為のギリギリの選択が人類を生んだ訳です。
道具の使用・作製無しに、先祖達が地上の環境で絶滅を免れることは無かったでしょう。
直立二足歩行と道具とはいわば車の両輪でも有ったのです。
環境に対し無力な存在と言うこの事情は、群れの形成と共同作業を必然的なものとし、ひいては人間社会と社会的労働の前提となった訳です。

■ 直立二足歩行がもたらした影響

ヒトの直立二足姿勢に付いて、上記で骨格の特徴などについて若干触れましたが、その他直立二足歩行に伴う形質の変化について、重複する部分 も有りますが少しまとめて見ます。

■ 直立二足歩行の身体的特徴

  • 骨盤骨
    直立した場合、内臓の重みを骨盤で垂直に受ける形となる。その為骨盤が広く、形もお椀状に湾曲する。
    骨盤骨と大腿骨の接続角度なども、当然四足歩行とは違って来る。

  • 大後頭孔の位置と角度
    大後頭孔とは頭蓋腔と脊柱管をつなぐ孔。脳はこの孔を通って脊髄に移行する。
    直立に伴いこの開口部は頭蓋骨の下に水平に開くことになり、 逆に背骨は下から真上に向けて頭蓋骨を支える形になり、S字状に湾曲する。
    四足動物では大後頭孔が頭蓋骨の後部に垂直に開き、背骨は後ろに水平状に位置する。
    これは主に視線が常に前方を向くよう、頭蓋骨の角度が自ずから決まってくることによる。

  • その他、胸部が扁平となり、下肢も強大となり蹠行に適した足になるなど、骨格 全体に大きな変化をもたらす。

    等など。

つまり発見される化石に、これらの痕跡が見られるときその化石はヒトのものとされる訳です。

■ 直立二足歩行のもたらしたもの

  • 手が歩くことから開放され、道具使用・作成の可能性が開けた。
    本来前進運動器官(locomotive_organ)で有った前肢が、歩くことから開放されて上肢となり、その後の道具の製作・使用への可能性を開くこ ととなった(その前適応として、樹上生活でのぶら下がりなどによる、手・指の発達、特に拇指対向性が有ったのだろう)。
    道具の作成・使用は、人間を人間たらしめた最大の要因である。

  • 咽喉や口腔の形が変わり、音声を発する前提が出来た。
    直立により、咽喉の形が変わり、広い口腔が確保されること等で、音声言語の可能性を開いた。
    ※ 言葉も又、人間の思考を発達させる上で、決定的な要因である。

  • 大きな脳を可能にした。
    直立した背骨で頭を垂直に支えるかたちとなり、その後の脳容量の増大を可能とした。

※ 下で述べますが、人類進化に関する主要な二つの仮説、「サバンナ・モザイク説」と「アクア説」では、同じ進化上の現象であっても、例えば音声発生機序の説 明が異なります。或いは個々の点で違いが出て来ます。
そもそも直立二足歩行の契機についての解釈も全く異なります。

私は「アクア説に一票」派なので、本来はそれに即した記述が必要なのでしょう。機会が有ったら紹介してみたいと思いますが、興味のある方はアクア説の著名 な啓蒙者として知られる、エレイン・モーガンの著作を読まれることをお勧めします。

しかし今ここでその違いは取りあえず横に置きます。
要するにキッカケはどうであれ、ある種のホミニドがヒトとなり、人間として進化して行く過程で、道具・言葉がその決定要因で有ったことだけは間違いなく、 その基礎的前提が直立二足歩行だった訳です。

※ 進化の傷跡

ヒトは直立二足歩行によって、身体上の様々な弊害もまた同時に背負うこととなりました。例えば、貧血、胃下垂、腰痛、痔等など。或いはメス の難産など。
このことは未だヒトが、完全には直立二足歩行に適応し切っていないことを示していると言えるかも知れません。


※ 二足歩行は樹上生活が起源…オランウータン分析で新説

2007年6月1日付け新聞で、いっせいに次の報道がされた。

人類の特徴である直立二足歩行は、祖先がチンパンジーから分かれた後の地上生活で始まったのではな く、樹上生活をしていた、より古い祖先まで起源をさかのぼれるという新説を、英バーミンガム大などの研究チームが発表した。

オランウータンが細くてたわみやすい枝を移動する際、二足歩行を多用していることがわかったという。1日付の米科学誌サイエンスに掲載される。

研究チームは、インドネシアのスマトラ島で1年間、野生のオランウータンを観察。樹上を移動する際、どのように体重を支えているかを分析した。

その結果、腕でぶら下がっての移動が約半数を占めたが、二足歩行も13%に上り、特に太さ4センチ未満のたわみやすい枝を移動する時は二足歩行の割合が 22%と、四足歩行の16%を上回った。二足歩行の90%以上が脚を伸ばした直立姿勢で、75%は腕でバランスをとっていた。 (Yahooニュースより)

でも、どうなんでしょうね。
今まででも、臨時的ではあれボノボやチンプ、サル達のの2足歩行は頻繁に観察されているし、枝からのぶら下がりや、大型類人猿の木から木への移動の際の 「木登り」が、2足歩行の前適応だとされる説も有った訳で、上記の観察が特に「新説」と言える程のものかどうか。
いずれにしても何も無いところから唐突に2足歩行が始まった訳ではなく、さまざまな契機、前適応が有ったことでしょう。


■ 「人類の起源」を巡って

人間の起源を探る営為は、直立二足歩行の起源を探ることだと言っても良いかも知れません。
次に「人間の起源」を探るに当たって、異なる二つの研究アプローチと、異なる二つの仮説を見てゆきます。

■ 二つの研究アプローチ

■ 古生物学的(主に化石による)アプローチ

化石による古代生物(ヒトも含め)の研究の重要性は、言うまでも無いことだと思います。 発見された化石はさまざまな方法で年代を同定し、当時の状況を明らかにします。
化石は当時の生物の様子を直接うかがい知ることが出来る唯一な資料であり、これからもその重要性が揺らぐことは有りません。
しかし言うまでも無いことですが、これは化石として残っていない生物については研究が及ばないと言う制約・限界が有ります。

■ 分子生物学的アプローチ

20世紀半ば頃から台頭してきた研究手法です。
遺伝子DNAの塩基配列、それによってコード・表現されているタンパク質などの分子を、異なる生物種同士で比較し、その違いの度合いを調べることでその生 物種がいつ頃分岐したかを推測しようと言うことです。
現在、数百万とも数千万とも言われる生物種は全て、元々はたった1個の祖先から枝分かれしたことが、遺伝子DNAの研究で分っています。 そして生物の分岐・進化には、遺伝子DNAの塩基配列の変異が伴うことが分かっています。
DNAの塩基配列の変異とそれによるタンパク質の変異が蓄積、固定して生物の進化が起こる訳です。大雑把に言うと……。

かって同じ祖先種から枝分かれして、それぞれ独自の進化の道を辿り現代の姿になった二つの生物種が有ったとします。
元々は同じ生物だった訳だから、その時点ではDNAの塩基配列は全く同じ筈です。
その後の進化の過程でそれぞれ塩基配列が独自に変異し、現代に至っている訳だから、今生きているその二つの生物種の、特定の遺伝子座に於けるDNA塩基配 列や、特定部位のタンパク質分子の違いを比較することによって、逆に過去いつの時点で枝分かれしたのか分かる、と言う考え方です。

この手法は化石と違い現在生きている生物種や、或いは絶滅していてもその遺骸から抽出したDNA分子を比較することで、過去の進化の道筋を辿ることが出来 るという点で、画期的な研究手法です。事実その後の進化生物学に計り知れない成果をもたらしました。

生物の形質上の変異スピードは種や部位によって非常にマチマチです。シーラカンスやカブトガニのように数億年もの間、殆ど変化しないケース も有れば、短期間に急速に変化を遂げるケースも有ります。
それに対し分子生物学が対称にしているDNAやアミノ酸分子は、進化に対し概ね中立的でありその変異スピードも定速性が有って「分子時計」として充分信頼 性が有る、とされる訳です。

しかしそうは言っても、やはり問題点は有ります。
上記のようにDNA分子やタンパク質分子の変異スピードが、時間の経過と共に一定であると言うことを前提としていますが、その定速性はあくまでも平均的な もので完全とは言いがたく、やはりある程度の分散を伴っていると言うことです(その件に関しては後に出てきます)。

■ 人類起源に関する、古生物学と分子生物学の大論争

実は化石を基にする古生物学と分子進化学との間で、1960年代後半から1980年代前半に掛け、人類の起源をめぐって二つの点での大論争が有りました。

人類起源に関する系統樹

  1. 進化の系統樹における論争
    系統樹と言うのは、種が枝分かれして進化、或いは絶滅するする経過を、樹の枝に例えて表現したものです。
    伝統的な系統樹では、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン等の類人猿を一かたまりの系統として、ヒトへ至る系統と区別していました。
    これはヒトを、他の類人猿と分けて独自に進化したと見るもので、まあ今の姿からしても自然な見方に繋がっています。

    それに対し、分子の違いに基づく分子系統樹では、オランウータンとゴリラが早い段階で分岐し、その後チンパンジーとヒトが分岐した、とします(右図)。
    つまり、ゴリラとチンパンジーとの親戚関係より、チンパンジーとヒトの親戚関係の方が、はるかに近いと言うことです。

  2. 分岐年代をめぐる論争
    伝統的な解釈では、チンパンジーやゴリラと、ヒトとが分岐したのは2000万年前を下回ることは無いとされていましたが、分子レベルでの結果では、チンパ ンジーとヒトが分岐した時期はおよそ500万年前だとされ、大幅に「最近」に近づいたのです(右図)。

この論争は結果的に分子進化学者の勝利に終わりました。
と言うのは、ラマピテックスという化石を、当時の化石人類学では、ヒトの化石と解釈していた為です。
1982年、ラマピテックスのほぼ完全な頭骨が発見され、それがヒトの祖先ではなく、オランウータンの近縁だと同定されこの論争は決着しました。

この出来事は分子進化学の評価を高めると共に、その後の「人類の誕生は500万年前」と言う結果を定説としたようです(しばらくの間は)。

このように人類起源を巡っての論争の中で、この分子生物学は大きな成果を挙げました。
しかし後で述べるように、最近の相次ぐ人骨化石の発見により、今度は逆に、分岐年代を含めて人類の起源に関する大幅な修正と言うか、新たな枠組みの構築を 余儀なくされているようです。

■ 人類誕生・進化、(主な)二つの説

人類誕生・新化に関して主要な二つの説を紹介します。
旧約聖書による「天地創造、アダムとイブの物語」等も一つの説と言えるかも知れませんし、それを信じて学校の教科書にも掲載すべきだとする人たちも大勢い ます。しかし文学的な意義は兎も角、科学として私はこう言う説を採りません。

人類発祥の地理的資料

■ サバンナ説、モザイク説

イーストサイド・ストーリーとも言います。従来定説とされてきたもので、現在でも主流派となっています。
提唱者は、 フランスの人類学者、イブ・コパン(※ 注)、提唱したのは、1982年。

人類発祥の地がアフリカであることは、相次ぐ化石の発見などで今や疑いの無いところです。
特にその中で、アフリカ東部を南北に貫くグレート・リフト・バレー(アフリカ大地溝帯)の東側に人類の起源を求める説です。

1000万年?700万年前頃、アフリカ東部で大きな地殻変動が起こっていた。
地下のマントルの上昇により大規模な大地の隆起が起こり、場所によって4000メートル以上の山脈が出来た。
さらにその中央部が陥没して巨大な大地の割れ目(グレート・リフト・バレー)が形成される。

標高4000メートルの山脈は、それまでの大西洋から吹き込んでいた湿った風を遮り、アフリカ東部が次 第に乾燥化し、それまで熱帯雨林だった地域をサバンナ化していった。
その自然環境の変化によって、人類の祖先は森からの離脱を余儀なくされ、サバンナでの生活に適応せざるを得なくなった。
その結果人類は直立二足歩行を中心とする、人類への歩みを強いられることになっていった、と言うシナリオである。

現にこの一帯、特にオルドヴァイ渓谷を中心に、数多くの貴重な人骨化石と石器などの遺跡が発見されてお り、又その人骨化石をしのぐ古い時代の化石が、他の地域で発見されていないことから、長い間このサバンナ説は大方の支持を得ていたし、現在も主流であっ た。

しかし最近、このサバンナ化より古い地層から、ヒトに分類すべき化石の発見が相次いでいるなど、この説を唱えている学者の間でもそのままの 形での主張には無理が生じており、サバンナと森林が入り組んだ状態、つまり「モザイク説」に移行しているようです。

※ 注
イーストサイドストーリー提唱者のイブ・コパン博士も、トゥーマイ(サヘラントロプス・チャデンシス)の発見などにより、人類発祥の地域をイーストサイド に限定せず、より幅広く求めるべきだ、とTVで述べて居ました。

■ アクア説

サバンナ説に対し、人類の祖先は進化の過程で、一時期水辺で生息していたことが有って、直立二足歩行を含めた人類の様々な身体的、生理的な 特徴の起源を、この「水辺の生活」に求めようとする主張です。

「ルーシー」で有名なアウストラロピテクス・アファレンシスが発見された、アフリカのアファール三角地 帯はかって海水で満たされていたと推測される(アファレンシスとはアファールで発見されたと言うような意)。
ハダールもオルドヴァイもかって湖か川岸だったと推測される。

最初ドイツの生物学者マックス・ヴェステンホファーによって(1924年)、さらにイギリスの動物学者アリスター・ハーディによって (1968年)独自に提唱され、その後、エレイン・モーガンの著作活動により、世間に広く知られるようになりました。 モーガンは現在も旺盛な啓蒙著作活動を続けています。
詳しくは当該著作や関連サイトをご覧下さい。

アクア説は従来の主流説からすると、時にトンデモ説とされていたことも有るが、実はサバンナ説では説明が付かないことや矛盾することについ て、その矛盾点を説得力を持って説明できることも多く、最近注目を浴びています。

モーガン著「進化の傷跡」には、腰痛、肥満、アデノイド、ニキビ、静脈瘤、乳幼児突然死症候群、日焼 け、睡眠時無呼吸症候群、難産を含むさまざまな婦人病、インポや不感症、ふけ症、そけいヘルニア、痔等の由来とアクア説との関係について、これでもか、こ れでもか、と説得力を持った記述が満載です。

上記記述の、トゥーマイの発見なども、このアクア説を裏付ける大きな材料となっています。 トゥーマイが発掘された場所は、今でこそ砂漠になっているが、かっては今のチャド湖が100倍もの大きさで広がっていた水辺であり、事実同じ地層から、魚 の化石も発見されています。
つまり「最古の人類」とされる、トゥーマイは水辺の環境で暮らしていたことになる訳です。


人類発祥の地がアフリカであることに、異議を唱える学問的立場は今は有りませんが、アフリカの何処で有ったか、今全く分からなくなって来ま した。
サバンナ説にしろアクア説にしろ、その真偽はいずれ学問の場でより明白になってゆくでしょう。私としてはアクア説に1票なのですが。

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